たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

皆と言うより社会が悪い

最近お金の使い方が雑になってる。一人暮らしを始めてたぶん9カ月くらい経ったけど、最初は特に意識しなくてもお金は減るどころかむしろがんがんに貯まっていっていた。ちゃんと数えてないけど引っ越しのときに何十万使って減った額が気が付いたら引っ越す前と同じくらいになってた気がする。「働くと何もしなくてもお金が貯まるから働くとすごい」と長らくフリーライターという名の半ニートをやっていた僕は思った。

ところが最近何もしないでも増えていったお金が何もしていないのにじわじわ減っていってる。なんなら引っ越してきた当初はたまにパチスロに行って絶対負けるという縛りプレイをして月に数万円を爆散させてたけど、最近は全然行かなくなったのにそれでも減ってる。こんな不可解な算数はなくて、銀行が毎月僕の預金を数万円ずつ抜いていくリアルマイナス金利を敢行したのかとも疑ったけど、どうもそうではなく僕の金遣いがテキトーになっている可能性が高いらしい。

思えば僕は生まれながらに働くことアレルギーという難病を患っており、なるべく働かないために極めて吝嗇な暮らしをしていた。コンビニ弁当を買うくらいなら米を炊き100円のレトルトカレーで飢えをしのぎ、外出先で喉がかわいても100円がもったいないから水を買うのを我慢できる男だった。でも最近は「金ならある」という安心感から一口水を飲みたいだけで水を買い、380円の牛丼で生きられるのに「飽きた」などというアフリカの難民に言ったら殴られる理由で1000円のランチを食い、国から見に覚えのない税金の徴収が来れば疑いもせずに数万円を振り込んでいる。長年の吝嗇生活に対する反動、株式用語で言うと「リバる」という状態に入っている。謎の税金とか昔の僕なら絶対断固たる抗議を開始していた。

要するに小銭・中銭の用途は稟議書を出さずともがんがん使っていいという風に僕社の方針が変化したということなのだけど、それによる使途不明金の百裂乱舞で当社の経済は逼迫しているということらしい。なぜ我が社がこんな風になってしまったかというと社長にして唯一の社員たる僕が激烈に忙しく、細かいこと考えるのがめんどくさくなったからである。

ほんで当社CEOにして一企業の末端歯車である僕が激烈な忙しさの中で最近思うのは、「マジ社会って悪い」ということだ。

って言っても僕社としては僕の経済に一定の安定をもたらしてくれる雇用主の会社に対して激烈に感謝してるし、フリーランスに存在しない福利厚生とかにも日々歓喜の舞を舞っているし、いわゆる「ウチの会社マジひどくてー」みたいなサラリーマンあるある的愚痴感情を抱くということは全くない。長らく働くことアレルギーの難病を患っている僕はカイジの地下労働レベルの地獄を1億回シミュレートした上で労働を決意しており、むしろ現状の仕事に対しては楽だなーと思うからこそ続けられている。飲食のバイトを3日で辞めた僕ができるんだからそれは相当なことだ。

僕はフリー時代の1億回のシミュレーションの中で、明確な会社・社会という制度の抱えるダークサイド、すなわち資本主義の闇を悟っているのだけど、やっぱり現場に入るとわかりきったそれにブチ当たって「うわあ」と思っているのでそれを言いますがこれは愚痴ではないです。やり場のない悲しみと絶望の発露です。なお、世間ではそれを愚痴などと呼ぶようです。

って言うか電車とか乗ってても酔ったサラリーマンたちは全員「○○さんの仕事はアレだから~」「俺はクライアントにこうアレしてるけどアイツは~」「ジョブズもなんとかって言ってたように仕事というものは~」みたいな話してて僕はそれ聞くのがマジつらい。なぜつらいかっていうとそれがしょうがないとわかっているから。しょうがないことがしょうがないってマジつらくないですか? しょうが焼きを作ろうとして肉買ってきたのにしょうが買い忘れたときくらいつらいですよね!(ここで全員が笑う)

今自分の書いたことでつらくなったので結論を急ぎますが、つまりまず社会というものがある。その社会を作っているのは数多の会社という組織で、その会社は競争を勝ち抜いた立派な会社である。それぞれの会社はさらに勝つため、あるいはそれ以上負けないために目指すべき前向きな目標を立てる必要があり、それは各会社員に振り分けられる。高度経済成長、あるいはバブル的イケイケ状態の世であればびゅんびゅんの追い風を受けて各会社員もそのノルマをこなせるのだけれども、イケてない状態の現世では必然的にこなせなくなる。その結果電車で酔って「俺は~」とか「ジョブズは~」とか言うことになるのである。

ただ、だからと言って「ウチの会社はダメで~」と言ってはいけないというのは、全会社がイケてない状態の現世で生き抜くためにギリギリのノルマをCEOが苦慮考慮、艱難辛苦の挙句に設定してるわけで、現場レベルの「マジ無理」をCEOが即決即断で「オッケー」と受理できないのも理屈だからだ。だから現場の「マジ無理」が各上長の「う~ん、でもねえ」などを伝って最終的にCEOが「オッケー」と受理するのは早くて2年後くらいであり、そのころにマジでマジ無理だった人は既に辞めるか死んでるかしてるので大勢に影響はない。こうやって社会の秩序は保たれているのである。秩序とは一体。

ここで注意せねばならないのはCEOも上長もマジ無理ニキも、あるいはライバル社のCEO以下も、個人としてはみんな一生懸命やっているということだ。

だからみんなも近しい誰かが自分に無茶を言ってきたとしても酔って電車でその個人を「あいつアレだから~」などと責めたりしないでほしい。あえて誰が悪いのかを決めるならそういう無茶の発端となっている社会である。社会憎んで人を憎まず。僕はそう思う。

僕がフリーライターになって最初にやらせてもらった連載が「俺と言うより社会が悪い」というコラムだった。誰かが一生懸命書いたニュース記事を読んで僕が無責任なことを言うという無責任なコラムだった。今では僕がそのニュース記事を書く側に回っているというのは極めて因果なことだと思う。

そしてこれも因果なことに僕の基本思想もやっぱり変わってなくて、やっぱり現世で横行する様々な悲しみは社会のせいなんだと思っています。皆と言うより社会が悪いです。じゃあどうしたらいいんだ、と言われれば僕は「しょうがないんじゃないすか」などと薄ら笑いを浮かべることしかできず、無責任なところも変わってないなと思います。そんでランチに1000円のしょうが焼き定食を食って「わはは。まあまあうまい」などと言って緩やかに貯金を減らしていってます。最近はそんな感じです。わはは。