たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

伝説のアル中囲碁棋士・藤沢秀行というマジキチのこと

伝説の無頼派囲碁棋士藤沢秀行という名誉おまんこおじさんがいる。アル中・暴力・ギャンブル・借金・不倫に加えてあちこちの愛人との間に子供を作るというおよそ妻にできる悪事の数え役満を達成したキチガイで、全盛期は常に泥酔して「おまんこ」以外の日本語を発することができないマジキチだったと聞く。2009年に満83歳で死んだ。絶望的ながんを3度も乗り越えた上での悪魔的な長寿で、妻の藤沢モトさんが「閻魔様もこんなやつに来られたくないんだ」と言ったくらいでたらめに世に憚った憎まれっ子だと思う。

名前の読みは「ひでゆき」だけど「しゅうこう先生」と呼ばれた。晩年の著「野垂れ死に」を読むと、本人は極めて囲碁の真理を追求することに邁進するあまり、頭の中が囲碁で一杯になるので酒を飲んだり競輪を狂ったようにやることでしかそれを発散できなかったそうで、本質は極めてド生真面目なのだと言う。アル中と闘いながら晩年までタイトルを連覇するなどの活躍をしたことを見ると、まあ一理の1万分の1くらいの理はあるかもしれない。でもやっぱり一般的に見てやりすぎで、1万分の9999くらいはドクズだろう。

妻・モトさんの「勝負師の妻」という本がもっとヤバイ。秀行が囲碁棋士としての無頼ならモトさんは妻としての究極の無頼で、幼少期から1人で農家の家計を支える健気な働きをし続けやっと解放されるかと思ったらなんの間違いか秀行と結婚して、それからはあらゆる蛮行をいなし、なだめ、家に借金を増やすことしかしない秀行をフォローし続けてた。時代性もあるけどこれは愛とかそんなJ-POP的な生易しいことではなく、モトさんの異常な意地と強さによって奇跡的に成り立っていたものだと思う。

全部が壮絶すぎるので詳しくは本とかWikiとか読んでほしいけど、秀行(クソ)は愛人には色々プレゼントをしたりするけどモトさんには一度も何かを買ってやったことがない。むしろ秀行(クソカス)がモトさんに「おい、あの○○(愛人)にドレスを見立ててやれ。俺がパーティで恥をかくだろ」とか言ってキレるらしい。さらにモトさんがそれを先に見越して「今度のパーティのためにあの人(愛人)にドレスを買っておきました」と言うと、クソカス(秀行)は「俺をバカにしてんのか」とか言って逆ギレするらしい。クソカスである。

ある日、クソカスは死ぬ前に自分の戒名として「無明居士」というものを考えたそうだ。死ぬまで囲碁のことも悟れず煩悩からも脱せなかった(無明)ということらしい。そんでその時モトさんにも「紫雲徳徳大師」という戒名を考えて紙に書いて渡した。意味としては仏ばりにめっちゃ徳の高い人ということになる。それがモトさんがクソカスからもらった唯一のプレゼントだそうだ。

藤沢秀行は死ぬ数日前に、病床で息子を近くに呼んで耳元で「母ちゃん、好きだ」と2回言った。それを聞いてモトさんは爆笑したそうだ。今さらそんなこと言ってどうなるんだ、という笑いだったらしい。死ぬ前に告げる素直な気持ちすら本人ではなく息子にしか言えないあたりが、本当にクソカスらしいと思う。

僕はこのエピソードがなんだかやたらと好きだ。全然美談でもないし、共感もできないし、肯定したいとも思わない。自分はこんな人間にだけはなりたくないと強く思う。でも、こんな不器用な人間がいて最期まで不器用なまま愛されたり死ぬほど憎まれたりしていたということが、悲しいような嬉しいようなそういう複雑な感情を強く喚起させられるのだ。