たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

「シン・ウルトラマン」感想 ウルトラマンへの偏愛に満ちたちょっとイマイチですごくサイコーな空想映画

「シン・ウルトラマン」を見たぜ。制作が決まったときから僕はこの映画には信仰に近い期待をしていて、鑑賞時もはじめは「頼む、傑作であってくれ……!」と祈りを捧げながらスクリーンをガン見していたんですが、途中から「あ、これそういう作品じゃないんだ」と気付いて、心の中にウルトラの星を発見。以降は脳みそを空想浪漫でシュワッチさせながら楽しく見てました。以下、ちょいちょいネタバレありです。

「シン・ウルトラマン」は面白い。なぜなら「ウルトラマン」が元ネタだから

アホの結論から入ってしまってすみません。僕は最初「シン・ウルトラマン」は何かものすごい新解釈をウルトラマンに適用して全く見たことのない斬新なウルトラマンが見られる映画かと思っていました。全然違いました。初代「ウルトラマン」そのまんまやんけこれ!

元々39話もあるオムニバスなお話を1本の映画としてまとめるための整合性として新しい要素とかも入ってはいますが、大筋はマジで初代のまんまだと感じました。原作の「メフィラスとかいうやつ紳士的な宇宙人とか言ってすぐキレるやん」「窓パリンって割るだけの1兆度の火球ってなんだよ」みたいなツッコミどころや雑味をまろやかにしただけで、なんなら「多少の雑味は素材の味としてそのままお楽しみください」という庵野シェフの頑固なこだわりも感じられる一皿に仕上がっています。そういや自主制作で自分が主演のウルトラマン映画作るくらいのウルトラおじさんだったなと反省しました。

細かい考察や解説はプロが死ぬほどやってくれると思うので、僕の好きだったシーンだけ箇条書きにしておきます。

 

・冒頭からマッハ5で駆け抜ける「ウルトラQだ!」「シン・ゴジラだ!」の興奮
・最初の銀トラマンがAタイプっぽいしわしわ顔
・ウルトラ最強技「回ればなんとかなる」のキック流用
・もうやりたいだけ感のある実相寺アングルの多用
・にせウルトラマン戦のチョップしたほうが痛がるやつ、人間持ってる手を思いっきり蹴り上げる荒くれ救出(原作ママ)
・メフィラス関連全部
・ネットミーム化した有名誤情報ネタ「宇宙人ゾーフィ」、まさかの公式化

これです

 

こうして見るとなんか禍特対のシーンが全然ないけど、斎藤工さんの外星人らしい演技とかよかったです。ベストはメフィラスと酒飲んで割り勘にするシーン。あれ、メトロン星人とちゃぶ台囲むやつのオマージュっぽさもありましたよね。

上記の多くは原作当時の技術的問題や詰めの甘さ的な部分でもあり、リブートするなら削っちゃうこともできるんですが、同時にそのちょっと粗削りなとこもファンには愛されてる部分でもあって、そこをしっかり残すところにウルトラマン愛を感じました。愛というか完全に偏愛。私の好きな言葉です。

「あなたはプロのクリエイターなの? ウルトラオタクなの?」庵野「両方だ」

映画としてのクオリティやドラマ部分の弱さなど賛否両論あるのは有識者の人が色々言うてはる通りかと思いますが、特撮オタでもない普通のウルトラ好きのガキだった僕的には、ウルトラマンってそもそもそんな高尚なもんじゃないよな、という気持ちでした。上記の通り僕が再放送見てた時代にはもう古くなってた部分もあったし、子どもながらに「なにこれ、明らかにここ人形飛ばしてるじゃん」とか思ってたし。

当時の特撮技術のすごさとか深いテーマ性とか実相寺昭雄監督の独創性とかって、全部大人になってから見返したときに「あれ、今見ても結構面白いな……」って気付いた部分なんすよね。時代を超えて通用する根源的な面白さと時代を経ると劣化してしまう大ざっぱな部分とそれを補う思い出補正の要素、それらが全部合わさって好きなのが今の僕にとってのウルトラマンなんだなあと思いました。

そもそも僕が昭和ウルトラマンシリーズのビデオを借りまくったり、じいちゃんに毎週おもちゃ屋でソフビを買ってもらったり、「大きくなったらウルトラマンになる!」と言ったらなぜか体操教室に通わされたりしてた幼少期って、「ウルトラマンが怪獣ぶん殴って光線で倒すのかっけー!」「人間のパート暇だから30分ずっとウルトラマン出せばいいのに」と思ってたなあということをなんか思い出しました(ウルトラファイト脳)。だから当時は全編ウルトラマンしか出てこない「ウルトラマン物語」(タロウの幼少期を描いた映画。ウルトラマンたちがめっちゃ喋る)が好きで、そのビデオばっか繰り返し借りてた。

だから結果的にドラマ部分が弱くなろうが詰め込みすぎになろうが、2時間の映画で1体でも多くの怪獣を出す(そのほうが子どもは喜ぶ)、っていう脚本だったのはエンタメ映画として庵野さんのサービスサービス精神が発揮された部分もあったんじゃないかと思う。半分くらいは。あとの半分はウルトラマンオタクとして絶対にせウルトラマンや巨大フジ隊員は入れたいというエゴもあっただろう。

逆に言うと「シン・ゴジラ」的な傑作にならなかったのも、指摘されてる樋口監督と庵野さんのズレとか以上に制作者がウルトラマン好きすぎたせいかもしれないなと思います。「CGなのにちゃんと人形飛ばしてる頃の特撮映像みたいになってる!」っていう原作リスペクトは“見たことのないウルトラマン”とは真逆の要素だし現行シリーズのCGに見慣れた子ども世代にとっては歪で不要なんだけど、それやんないわけにはいかなかったんだろうなと。プロなのかウルトラオタクなのかと問われた庵野は「両方だ」と答えるしかなかった。興行とDAICON FILMの狭間にいるからこそ作れるものもある。

その結果として傑作映画ではないけどマニアは小ネタに喜び、初見や子どももポップに楽しめるウルトラマンになった。現代の人に「初代ウルトラマン面白いよ」と言ってもなかなか見てもらえませんが、シン・ウルトラマンをみんなが見てくれてザラブやメフィラスの話ができるのがうれしいです。ぜひポップコーン片手に「でっけー巨人がなんか知らんけど人間のために怪獣やっつけてくれる」様子を楽しみ、鑑賞後はフィギュアを買って笑顔で帰ってほしいと思います。

 

togetter.com

読んでてよかったなあと思ったまとめ。最終的には今の子どもが「大きくなったらウルトラマンになりたい」と思えたならそれでええ

 

庵野さんはあんま納得してないみたいですが、昭和ウルトラマン好きとしてはちょっとイマイチなところも含めてサイコーの空想映画でした。また、「われらのウルトラマン」に会わせてもらえて幸せです。