たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

ろくじゃない日

別に大げさなことを書きたいわけではないのだけど、今日はばあちゃんの告別式があったので日記を書いておく。そんな感傷的なものではないけどおばあちゃんっ子だったので。

先週くらいにばあちゃんが入院したという連絡がきて、数日後に亡くなったという連絡がきた。いわゆる「今夜が山だ」みたいな状況ではあったらしいのだけど、こういうご時世なので面会的なものはできないので普通に暮らすしかなかった。親父がちょっとだけ喋ったところによると意外と元気で「もういいから早く帰りたい」的なことを言ってたらしい。

告別式の写真がよかった。直近の89歳の誕生日の写真をトリミングした写真で、元写真はばあちゃんがフニャーっと笑顔でピースしてる写真なんだけど、なんならそのピースまで入れてくれたほうがいいのにな、と思った。俺は世の中や近隣の人にめちゃくちゃ「ろくじゃないよ(長渕剛で言う「ろくなもんじゃねえ」の意)」と悪態をついてタバコをふかしているばあちゃんと孫の僕らに満面の笑みで猫かわいがりしてくれたばあちゃんを両方知っているから。から、ってことはないか。まあそういう感じ。

今日は10年以上ぶりに会う親戚とかがいっぱいいて「みんな老けたなあ」「知らない親戚の子供がいるなあ」とか思った。儀式苦手マンなので葬儀では坊さんの木魚その他を駆使したドラムソロを聞きながら「これ宗派によってリズムパターン違うのかな……」「裏拍でチーン入れるのはなんでかな……」とか思ったり思わなかったりした。精進落としで飯食ってるときに「ばあちゃんによく食わされたサッポロ一番塩ラーメンが今でも遺伝子に刻まれてるレベルで好きだ」という話をした時は故人をしのんでる感があった。そのくらい。

ばあちゃんは僕が社会のミジンコだった頃に保育園におむかえに来る係をやってくれていて、駄菓子屋で50円とかの組み立て式飛行機を買ってくれたり中古ゲーム屋の隅に置いてあるアーケードゲーム機でキングオブザモンスターズをやらせてくれたりした。僕は小1まで甘えん坊の赤ちゃんだったので学校のあとにベビーカーに乗せてもらってスーパーの総菜の鶏肉かなんかを食いながら往来を往来していた記憶もある。大人になったら車いすくらい押して恩返ししたかった気もするけどばあちゃんは人に頼るのが嫌いで車いすにほとんど乗らなかったらしい。

まあ野暮な思い出でお茶を濁すのはやめよう。実際自分はばあちゃんとしばらく疎遠になったし、ろくじゃない孫だった。

大学時代は家が近かったので少し顔を出したりもしたけど、その後は10年くらい会わなかった。最後に会ったのは去年の春だ。「そろそろ危ないから」みたいなことを周りに言われて会いに行って元々遠かった耳がさらに5kmくらい遠くに行っていて筆談で「元気?」「元気だよ」みたいな会話をした。30過ぎの僕に「大きくなったねえ」「昔はこんなに小さくておぶってパン屋に行ってねえ」みたいなテンプレの話もしてくれた。世界の全てに「ろくじゃないよ」と悪態をついていたばあちゃんだけど、その日は帰るときに僕の肩を叩いて「またおいで」と言ってくれた。「また来るよ」と言ったけど多分ばあちゃんには聞こえてなかったし、結局また行く前にばあちゃんが逝ってしまった。

なんか染みったれた感じになるな。親父は「ばあさんはまとめ方が上手かった」と言ってた。苦しみながら生き長らえると大変みたいなことを言ってるんだろう。僕もそう思う。それがよかったんじゃないかなとも。

まあそんなのは生きてる人間の勝手な意見で、ばあちゃんは「ろくじゃないよ」って思ってるかもなとも思う。あの吐き捨てるような「ろくじゃないよ」の言い方が僕は好きでよくマネしていて、親戚も昔からネタにしていて、大井家のギャグとして今後もずっと使わせてもらいたいなと思っています。ばあちゃんのご冥福をお祈りします。今日はほんとにろくじゃない日でした。