たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

【ネタバレ】20年くらい前に初めてエヴァ見た独身おじさんが全てのエヴァンゲリオンにさようならした日

表題の通りです。ネタバレなしで見たい人はぜひ今すぐ全ての社会責任にさようならして劇場へ向かってください。

シンエヴァ、とりあえず言えるのはめちゃくちゃよかったです。僕はまさにシンジ君とタメくらいのころに旧劇場版をビデオで見て「エヴァすげー!なんか難解そうでかっけー!アニメはすごい!」ってなってアニオタになり、その後生来の飽きっぽさが幸いして1年くらいでアニオタを辞めたくらいのライト層なのでガチ勢の皆さんほどエヴァの呪縛を食らってたタイプではありません。

一方でエヴァを知る前後くらいで急速に人間性をこじらせ、高校に進学しなかったりアル中ニートになったり今に続く世の中とのウマ合わない病を発症したので、旧シリーズで示されたエヴァの表現はずっと心のロンギヌスの槍としてぶっ刺さってもいました。今でも「みんながLCLに溶けてひとつになったら気持ちよさそー」と思ってるしそのボタンがあったら押します。

やがて大人になり、新劇は破のエンタメ感やQのこじらせ再発症感などを少し冷静に、A.T.フィールド越しに楽しんでいましたが、そういう立場的にシンエヴァは「エヴァがきれいに終わった!」という点に最大のカタルシスがありました。文字にするとすげえつまんねえ感想だな。でも20年応援してきたスポーツ選手が最後の世界大会で優勝してそのまま引退するのを見てるような気分が近かったです。

旧劇もシンも庵野監督がエヴァファンに「アニメから卒業しなよ」的なメタメッセージを発しているとよく分析されていますが、当時「おめでとう」と言ってもらったチルドレン(僕)がおっさんになって「完結おめでとう」って言う側に回れた爽やかさがありました。なのでケンスケやトウジが大人になってたのが一番よかったです。テレビ版でケンスケのキャンプに家出したシンジが泊まるシーンとかめっちゃ好きだった。まさかそこ回収してくるとは。新劇だとミサトさんに「相原くん」って言われるくらい忘れられたキャラだったのに。

あと「アスカとケンケン」を筆頭に各キャラのカップリングに脳を破壊されてる意見も見ましたが、僕も独身おじさんなのにそれは全然なかったです(余談ですが脳を物理破壊されたゲンドウがなぜかそれをちょっと拾うシーンは笑いました)。というかシンジが「自分のやったことは自分で背負いたい」みたいに言ってたのがマジでそれで、そういう自問自答や内省や葛藤を繰り返すことこそ僕が旧エヴァから教わったことなので、「綾波を助ける!」とかの直球ヒーローシンジさんより全知全能ポジのカヲルくんすら論破する達観シンジくんのほうに圧倒的成長を感じた。「アスカたそハァハァ」と言っていた中学時代から「自分の人生の責任は自分で取る。自分で考え自分で決める。アスカは絵」というマインドを構築していった旧劇から新劇始まるくらいまでの間に、既に僕は「さらば、全てのエヴァンゲリオン」していたのかもなとか思いました。

あんま内容に触れてない。めちゃくちゃ考察とか詰め込んでいったのにまだ読み解けてない部分多いですが、全体的に「サービスサービス」の精神はQがアレだった分マシマシになってた気がします。黒波が爆速で感情獲得していくとことかミサトさんが髪ほどくとことか初号機と十三号機の異常空間ゲンカとか。「おもしろーい!」で見てオッケーな映画だと感じました。ゲンドウが量子テレポートでビュンビュンしてたのは一生いじれるおもしろシーンだと思う。

絶望の槍と希望の槍みたいなのが出てきたけど、旧劇を「絶望」の話とするなら新劇(シンエヴァ)は「希望」の話なのかなと思った。で、描かれ方が違うだけでどっちも「現実と向き合う」という話だと思う。シンエヴァは多くの謎にちゃんと説明もついてた(と思う)し、エヴァ全体としても「新劇」という紆余曲折合ったシリーズのまとめとしても美しかったと思うのでやっぱ「エヴァがきれいに終わった!」という感動が一番強かったです。

ということであのころめっちゃ好きだった全てのエヴァンゲリオンにさようならできて僕としてはとてもいい体験でした。今後もときどきエヴァのことを思い出します。「さようならはまた会うためのおまじない」らしいので。