たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

世の中のことわからない僕が「人はいつか死ぬ」ということはちょっとわかったつもりで生きてる話

「盛り下がってるかーい?」というロックスターのゴキゲンナナメな煽りが聞こえてきそうな昨今、人類の皆様いかがお過ごしでしょうか。小市民です。ライブハウス自宅よりキイチビール&ザ・ホーリーティッツの「世の中のことわからない」をお届けします。マジわかんねえよな、世の中。



まあ2020年5月現在のめちゃくちゃをあの名前も呼びたくねえウイルスが引き起こしてることは間違いのねえことでござあすが、もう嫌になりますわね。病気が、ってんじゃあない。いやそらあ病気も怖ぇけどそれより俺ぁ世の中が怖ぇ。ってあんまり怖いので落語調じゃないと言えなくなるくらい怖いわけ。

僕はもとより落伍者のほうやらしてもらってたんで自粛で家にいろー、なんてのは望むところ、むしろ「夢が叶いました」と歓喜の涙を流しながら毎日元気に1日50歩しか歩かず焼酎を飲み倒しています。なんなら自分みたいなもんは日に1、2本の輪ゴムかなんかを食べさせてもらえれば十分なのですが最近はウーバーイーツなる適度にフリーな奴隷にメシを運ばせるサービスなどもあるらしく、それを使うと自粛しながら人間の食い物が食えたりします。毎回配達員の方を抱きしめて感謝の濃厚接触をしたい気持ちに駆られますが、そのほうが叱られるらしいのでしていません。「ソーシャルディスタンス!」と言ってバックステップをするとお互いの絆ゲージが上がるという仕様のアプデが入ったらしいです、世の中。

素晴らしいことだと思います。なんかマスクとか10万円とかも生きてるだけでくれるらしいし。がんばって生きてるといいことあるなーって思います。

まあ素晴らしい云々っていうのは嘘なんですけど、それだけ皆で絆ゲージをガン上げしてるのになんか世の中を見てるとむちゃくちゃ喧嘩してるというか、高めたゲージを解放して各人がオリジナルのバチギレ超必殺技を撃ち合う大乱闘スマッシュブラザーズ状態になっているように見えます。多分幻覚なんですけどちょっと怖いなと思うことがあります。

僕は「毎日焼酎をキメないと死ぬ」というある意味でウイルスより怖い難病を患っているのでそういう幻覚を見てしまうんですが、そもそもその難病を患ったきっかけというのが「人はいつか死ぬ」という事実に気付いた時からだったような気がします。

10代くらいのころはそらあ僕も可能性の獣です。法律に「人はいつか死ぬ」という条文が書いてあっても「嘘乙」とつぶやいて冷めたツラして歩いていました。だけど成長して物事の分別がついてくると「人ってもしかしてマジでいつか死ぬんじゃね……?」ということに気付き始め、そうすると自分の根っこであった「まあまだ死なんやろ」という絶対の自信が崩壊しそのあとはもうめちゃくちゃです。何十日か前に色々な意味で死んでしまったワニよろしく「5秒後に死んだらどうしよ……」という考えが四六時中頭を離れなくなり、正気を失った私はその症状の特効薬と噂されていた焼酎(最近はアビガンとかいう同様の効果を得られるものも出ているようです)にたちまち手を染め、今では副作用により日常的に幻覚を見るようになりました。

「人はいつか死ぬ」という恐怖で自我が崩壊するのは僕調べによると不治の病らしく、発症当初の僕も色々捨て鉢になってロックを聴きまくったり急に「ラブ&ピース」と叫んで人に抱き着いたりインターネットで喋りながらゲームをしたりして健康な皆さんにご迷惑をおかけしましたが、最近は病気との付き合い方も少しわかってきて時々小康を得られるようにはなりました。「人はいつか死ぬ病」というのは現代医学でもまだ解決の目途が立っていない最強の難病らしいのですが、わりと無症状なだけで全人類が罹患している病気らしいです。「みんな同じなんだな」と思うと少し落ち着けます。筆者は既にだいぶ症状が進行しているので焼酎だけは欠かさないように細心の注意を払っていますが。

エビデンスのない素人考えで恐縮なのですが最近流行りのあの名前も呼びたくねえウイルスは、どうも副作用としてこの「人はいつか死ぬ病」を併発させる可能性があるんでねえかなと思っています。こっちの病気は身体的な症状はなくただちに影響もないんですが、メンタル面でやや人と人の関係をギスギスさせる効果が確認されています。ここは元から楽しい地獄だと星野源も言っていたので大勢に影響はないかと存じますが、絆ゲージを上げないといけない現状においては決して無視できない部分かと思いますので、人類の皆様はどうぞご自愛ください。

余談ですが本日お届けしたナンバー「世の中のことわからない」は、「会い足りないけど会えない」みたいなごく普通のことを言ってる歌なのに急に「世の中のことわからない」と言い出して「だけども君のそばにいたいよ」と続く変ちくりんなラブソングです。人間が歪に人間を愛する感情みたいなやつがソーシャルディスタンスを飛び越えて広く伝染してくれたらいいのになと思いました。隔離病棟自宅からは以上です。

おしまいおじさんはなぜ配信で泥酔して「除雪車」という言葉で号泣したのか

どうも、おしまいおじさんです。本日は表題の出来事について弁明というかそういうアレをさせてください。

まずインターネットで生配信をしたりする人間の98%は頭がおかしいということは周知の通りですが、その中にも段階というかセーフアウトの分岐点みたいなものはあって、表題の行為というのは1回表で27アウトになるようなありえない行為だということです。私がやりました。

とは言えこの世に意味のないことなんてのはひとつもないわけでありまして、私がそこに至った経緯にも一応の理由は説明可能です。既に引退試合を終えた私が今さら負け試合の振り返りを行っても進んだ時計の針が巻き戻るわけではありませんが、遺言のようなものだと思って聞き流していただければと思います。

犯行当日の1月20日、僕容疑者は友人とのゴキゲンなキャンプ旅行を終えて帰宅しました。祭りのあとの楽しくも少し切ない余韻、翌日から現実が再開されるという絶望、二日酔いの体に酒を流し込んでいく自暴自棄感、これらの感覚のどれかは頭のおかしくない読者諸兄に置かれましても多少はご理解可能なのではないかと愚察いたすところであります。

そうした感情がサイゼのドリンクバーで高校生が作る謎カクテル状態になった私は、感情の排水溝としておなじみの自身のニコ生チャンネルに垂れ流すことにしました。そんで「旅行おもろかったわ」「明日から仕事とか無茶だから今日で死ぬわ」といったごく常識的な意見を述べながら酒を飲んでいました。この時点で既に引いてしまう人類もいるかと思いますが、A級妖怪以上の皆様に向けて話しておりますので霊力の弱い方は結界の張ってある場所でご覧ください。

こんな配信のタイムシフトをまともに観返す勇気は自分にはないのでほぼ断片的な記憶をもとにお話ししていますが、酒がキマってきた私はコメントを全肯定するという遊びを始めたかと思います。「今日は残業してつらかった」「残業とか全人類がいまだなしえてない偉業だからえらい」「トイレでうんちできたよ」「お行儀がよすぎる。そんなのフランス料理のマナーより難しい」とかそういうノリです。これは私の大好きな感動漫画「はぐちさん」の模倣的な行為だと思われます。

私には1~2年に一度くらい、「純度100の泣き上戸に入る」という奇癖があります。これは半分意図的な部分もありその代表的なものが「今日は大好きな感動映画のアイ・アム・サムを観てめっちゃ泣いてこましたろ」とかいうやり方です。基本感情表現が下手な人間なので1人自宅で深夜泥酔したときに、いいストーリーやいい音楽に全力で身をゆだねて感情をだだ漏れにするという方法論です。ストレスが溜まってくるとお笑いをめちゃくちゃ見て笑うというセラピーもよくやるのですが、その反対のものになります。

その配信時、「泥酔」「ストレス」「いいBGM」「感動要素(はぐちさん)」「もうどうでもええわという自暴自棄感(感情の解放)」といった諸条件が偶然にも全て揃っていました。専門用語で「状態に入る」と呼びます。つまり衆人環視の状態で隠しスキルの「泣き上戸」が発動してしまい、私は「ヤバイ、今なんでも泣ける状態に入った」といった旨の自白をしたかと思います。

そこでおそらく皆様がなんか適当なことを言ってくだすったのだと思いますが、私の目に「除雪車きたよー」というコメントが飛び込んでまいりました。多分雪国にお住いの方で除雪車がきたんだと思います。

私はそれを見てオヨヨヨヨと泣き始めたかと思います。怖いでしょう。俺だって怖いんだ。

この現象をロジカルに説明しますと、「なんでも泣ける」という状態に「除雪車」が「きたよー」すると、「除雪車ってなんてえらいんだ」という感情で泣き始めます。

寒くて暗くて人影のない夜にたった1人でみんなのために雪を除けていく除雪車が走っている。その頑張りは取り立てて評価されません。「除雪車なんだから当たり前だろ」ならまだよく、なんなら「夜中にでかい音出してうるせえな」とか嫌われるまであります。

それでも除雪車は文句ひとつ言わず、そんな人たちのために除雪をやり続けます。それが除雪車に生まれた者の宿命であり、それ以外の夢を持つ権利すら除雪車にははじめから与えられていないからです。

家族を乗せてドライブに行きみんなを笑顔にする車がいる。熱いレースを繰り広げて称賛を浴びる車がある。でも除雪車にそんな未来はなかった。だから今日も孤独に除雪をするために走っていたのです。

そんなビジョンが自分のことをはぐちさんだと思い込んでいる34歳泥酔おじさんの脳裏に一瞬で浮かび、「俺だけは除雪車の気持ちを汲んでやりたい」といってむせび泣き始めたということです。泣き疲れたおじさんは配信をつけたまま椅子で寝落ちし、無事人生おしまいおじさんとなって社会的に引退しました。

今もこの文章を書きながら酒を飲んでいるんですが、書けば書くほど「こいつ頭おかしいんじゃないか」という気持ちになっています。状態に入っていないからです。それなのにこんなことを長々と説明してるのもだいぶ頭おかしいのでまあやっぱり頭おかしいんだと思います。

現場からは以上です。私から伝えたいのはストレスと酒の飲みすぎには気を付けようということと、おしまいおじさんのことは嫌いになっても除雪車のことは嫌いにならないでほしいということです。

【ネタバレ】「ドラゴンクエスト んほぉ~このユアストーリーたまんねえ~」とかいう映画に少しビンタをする

大好評ボコされ中の映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」を観てきました。ネタバレ感想などガンガン見てから行ったけど、まあみんなが殴っている理由は体感できた。

僕は「総監督・脚本:山崎貴」という字面の印象だけで「どうせくっさいアレな感じになるんだろうな」と決めつけており、その意味ではターン開始時からぼうぎょしていたのでダメージは少なかったのですが、一応ドラクエ5大好きマンとして生きてきたので少しビンタさせていただきます。

簡潔にこの映画が怒られてる点を言うと、

映画スタッフ「このドラクエ5も形になってきたな」
監督「んほぉ~このユア・ストーリーたまんねえ~」

で最後にぶち壊したからだと思います(なおアイデアが最初にあったもよう)。ただ結構人によって怒りポイントが違ったりして面白いので、僕の怒りポイントも言語化しておこうと思いました。なぜならそれが僕の「ユア・ストーリー」だから……。


まず結末を除く全体としては僕はまあまあアリでした。というか山崎監督の苦手なところって「ドラ泣き」をはじめとするケレンミ100%ジュースを営業スマイル全開で提供してくるところで、僕は「大衆をナメてるなあ」と思ってしまうので苦手なのです。タイトルだけで避けることが多いのでほぼイメージで語ってますが、これが俺のストーリーなのでご容赦ください。

大衆をナメてる、というのはある意味ビジネスとしては正しい部分もあると思います。60点くらいの映画のほうが変に意識高い映画より興行収入よかったりすることだってあるし。だからこのドラクエもその辺は結構よくできてたとは思う。先に褒めよう。

最初の「スーファミ映像でダイジェスト」という導入はよかったです。ファン向け、という観点において懐かしくて嬉しかった。CGに切り替わってからも「ああ、こういう感じね」って受け入れれば思ったより悪くなかったです。ファン以外置き去りなのも別にそういうもんだと割り切ればいける。最初から60点のつもりで観に来てるので。

細かい指摘はいろんな人のそいつストーリーで語られてるのではしょりますが、あの長い話を映画として2時間弱で再構成したところはさすが60点の映画量産ニキだな、と素直に射精しました。ピックアップするポイントもよかったと思う。魔物使い要素を活かしつつブオーンという印象的な魔物の見せ場と合わせるとか上手な圧縮の仕方だと思います。構成としては。

唯一ほんとにいいなと思ったのは結婚相手の選び方のくだりでした。フローラ推しから入ってビアンカのよさ見せてやっぱビアンカって神だわ、にさせる流れ。今作のビアンカは非常にいいスケでした。ビアンカ派的にオッケーです。

一応褒めたのであとはビンタしますが、みんなストーリーが殴ってるように細かいとこで「こいつドラクエ愛全然ねえだろ」って演出が多いのは俺ストーリー的にもむかつきました。序曲のバーゲンセール、「死にたくなければ従え」という威圧モンスター勧誘、謎用語「クエスト」連呼、ヘンリーへの謎敬語、あたりが僕は苦手でした。

ただ「所詮ビジネスで作られた映画だしな」と思えばそのへんも60点として許容はできます。急に親子かめはめ波してゲマ倒すあたりも60点映画として見ればむしろ80点です(実質48点)。問題はやっぱその後のんほぉ~よ。

「色々アレだけど僕はドラクエ好きだし60点の映画として受け入れよう」って必死に我慢してきたら、監督が「俺、思いついちゃったんすけど……“斬新”なユア・ストーリー見せちゃっていいすか?」と言ってくるわけです。

「実は全部ゲームだったってオチでしたー。ほら、ユア・ストーリー!」っていうこすられ倒したオチ。なまじ「この辺はまあ映画だしアリかな……」とか良い点を探して観てた分、僕は「こんなゲームファンも映画ファンも敵に回すオチあるか?」と思いました。

「これゲームだぞ。大人になれよ」って表現はいいんですよ。攻めたかったんだなと。問題はその攻め方が雑すぎて映画的必然性も必要性もなんもなく、ただ「最後ちょっと攻めたかった」というだけで入れられてるのに引きました。

ドラクエが好きだからクソ映画でも愛でカバーして観てんのに、クソみたいなメタ展開で映画としても台無しにしてどうすんだと。そんで思い出したみたいに「僕も勇者だったんだなあ。おわり」って、映画ファン舐めてんのかと。デッドプール100回見直してくれ。

なんか無難にエンドロールの最後に「特別出演 PLAYER(YOU)」みたいなの入れるとか、普通にゲマとかミルドラース倒してハッピーエンドの後そっと電源を切って笑顔の主人公出すとかで全然ユアストーリー感は出せたじゃん、と思う。それでこっちは「ビアンカかわいかったからまあええわ」って帰れるのに。何を監督がんほっとんねんと。「ルーラで天井に頭ぶつける」みたいなあるあるネタの2、3個放り込んどけばもうちょっと満足度も上がるのになんでそれができんのじゃと。

まあ普通に無難なドラクエ映画でノスタルジーに浸りたかったのに全方位的な需要をぶち壊してきたので、たくさんの人が怒るのはわかるなあと思いました。あんまみんなが怒ってるものに便乗して叩くのは下品だと思って生きているのですが、「ユアストーリーだからええんやで」というメッセージを受け取ったので少しビンタさせていただきました。

僕はやっぱドラクエ5好きだなあということをあらためて認識できたので、そういう意味では僕のストーリーを見せてくれた映画でした。殴り書いたので気が向いたら後で直すかもしれません。大人なので寝ます。


デトロイトビカムヒューマン(神ゲー)1周目クリアメモ

PSプラスのフリプになんかきてたのでやってみたら神ゲーだった「Detroit : Become Human」の1周目メモです。

人間にクリソツのロボット「アンドロイド」がスマホ感覚で売られている近未来、アンドロイドが自分の意思に目覚めたらどうなっちゃうの~?というSF的にはわりとありがちな設定を、ゲーム作るのうま太郎たちが作ったら神ゲーになったという作品です。3人の主人公(アンドロイド)が出てきてそれぞれの選択肢によってむっちゃマルチエンディングになるらしいです。

マジで人によって全然違う話になるっぽいので自分の場合を記録しておきます。他の人の記録とか見た感じ、多分そういうのを見比べるのが面白いっぽいので。

・コナー

「私こそアンドロイドの中のアンドロイドです」的なめっちゃ優等生ロボットキャラで、開幕15分で「こいつ早く人間落ちさせて~」と思った。こういうキャラ好き。最新型でロボ性能が高いので警部補の補佐みたいなことをやってる人間の従順な犬。

相棒のハンク警部補がまた僕好みの酒浸りのダメ親父で「絶対こいつと仲良くなりたい」と思って気に入られるように頑張ったんだけど、なんかどんどん裏目に出て一回撃ち殺されたりした(後悔ポイント1)。悲しかった。

最終的には無事人間落ちしてアンドロイド救うマンになった。ハンクにもギリで「まあなんかお前もええ奴なんかもな」と言ってもらえた。2人とも生存。もうちょい最初から仲良くやりたかった。

・カーラ

家政婦系お姉ちゃんロボ。ヤク漬け父ちゃんの家庭に派遣され虐待されてるかわいそうな娘・アリスちゃんを守るため人間落ちして逃げるお話。

「とにかくアタイがアリスちゃんを守る!」という選択肢を選び続けるだけだったので方針はわかりやすかった。途中優しいゴリラ系アンドロイドのルーサーと合流し疑似家庭をこしらえてまた逃げるも、ジェリコの乱で何操作すればいいかわかんなくてオロオロしてたら人間に捕まって収容所落ちした(後悔ポイント2)。

道中出会ったサイコパスアンドロイドのラルフ君を生贄に捧げ、収容所から逃げることに成功。3人生存。ただ、ゴミ捨て場みたいなところで家族だけは残りました、みたいな感じだったのでもっと幸せにしてあげたかった。

・マーカス

結構金持ってる系画家の家で働いてる男性アンドロイド。持ち主から「お前がやりたいことをするんやで」という芸術家的な問いかけをされたりした結果、なんか覚醒して変異体(人間落ちしたアンドロイド)の集団を率いるジェリコのリーダーに急に上り詰めた。急だな、と思った。

ジェリコも一枚岩ではないので「こっそり暮らせればいい」「人間どもに暴力でわからせたったらいい」という2つの派閥があって、僕は平和主義者なので全面的に平和を目指して進めた。でもなぜか暴力派の女アンドロイド・ノースとええ感じになりチューをするなどした。なぜ、と思った。途中勢いで人間を撃ち殺すなどの選択もしてしまったのだがノースだけは喜んでいた。怖かった。

全面的に話し合いで解決する方針で動いていたので世論も最終的にはアンドロイドに同情的になってくれたのだが、最後の最後でなんか追い詰められて勢いで人間たちをぶち殺す爆弾を爆発させる選択肢を選んでしまった(後悔ポイント3)。そしたらマーカスが急に「俺たちは自由だ!(サイコパス笑顔)」とか言い出した。怖かった。

・まとめ

一応主要なメンツは生き残ったようで「生存者」ってトロフィーはもらえた。ネット見たら結構主人公クラスも死んでたりするので1周目にしてはよかったほうなのだろうか。そもそも生きてるからいいとか悪いとかってゲームではない気はするけど。

核となる謎である「rA9」みたいなやつが謎のまま残ったのでそのへんは回収したい。5秒で選択肢を選ばなきゃいけなかったり2秒でコマンドを入力するQTEがあったり結構慌てまくるゲームだったけど、世界観の表現とかは最近のゲームらしいリアリティがあって神ゲーだった。迷いまくるけど踏み出せばその一足が道となる、人生のゲームだった。面白かったです。

【ネタバレ】エンドゲームのネタバレ話をしたい衝動を解放するだけのメモ

※「アベンジャーズ/エンドゲーム」のネタバレ早く言いたいおじさんが我慢できずに思ったことを箇条書きにする自己満足記事です。未見の方はもちろん、失礼な表現を多分に含むのでガチファンの方も読まないでください。



僕はMCUのコミカルな表現多いとこが好きなので、今回観終わった直後は結構シリアスだったなと思ったんですが思い返してみると笑いどころも大分あって神バランスだった気がしてます。過去作品見てないとわかんない小ネタも多くて正直1本の映画として観たらどうなのかはよくわかんないですが、だからこそシリーズ全部観てからエンドゲーム観に行ってほんとよかったと思いました。以下、面白かったところなど。

・宇宙に放り出された社長と青い人がつまんないゲームして「楽しい?」「楽しい(真顔)」って言うとこ好き
・楽しくお料理してたらアベンジャーズとかいう山賊に襲撃される農家のゴリラさんかわいそう
・そこらへんのネズミ君、実質人類の半分を救う大仕事
・全編通してウサギ(アライグマ)の精神的支柱っぷりにたまげた。動物キャラだとグースも出るかなと思ったのでちょっと残念
・FORTNITEのボイチャで「俺は雷神様だぞ」って煽り倒すソーとかいう泥酔引きこもりデブ愛せる。ビンタしたい
・弓おじさんのガバガバ日本語はマジで何言ってるか一個もわかんなかった
・ぼく「エレベータードキドキ」キャップ「ハイルヒドラ(ボソッ)」ぼく「あっ!キャップったら~!(歓喜)」
アメリカのケツのくだりで草。どうせならトムホランド君のケツもいじってほしかった
・GotGオープニング→「あいつアホなん?」→ワンパンで気絶するスターロードさんの流れ美しい
・【悲報】ガモーラさんの恋人候補、アホか木しかいない
・【悲報】前回プチ戦犯のスターロードさん、キンタマを潰されたアホ船長として今回も汚名挽回に成功(でも好き)
・字幕違ったけどサムの「左から失礼」のセリフ、あとで知って興奮した
・「アベンジャーズ!……アッセンボゥ(小声)」のやっと言えた感、震えた。AoUのラストでこれ想定してたんだとしたらヤバイ
・覚醒ハンマーキャップ、原作的にあるかなと思ってたけど流れが最高すぎて一番熱くなった。盾が本体とか言ってすみませんでした
・【悲報】石無しゴリラさん、知らん姉ちゃんに突然キレられて「助けてー!早くー!」と大慌てしてしまう
・キャプテンマーベルたそ、結構好きだから期待してたのにあんまり他のキャラと絡みなくてムスッとしてばっかだったので寂しかった。一度みんなでシャワルマを食べに行ってほしい
・【朗報】トニー・スタークさん、心があった
・社長は結構泣かせどころが多かったけど個人的にはピーター・パーカーを黙ってギュッしたシーンが一番グッときた。あとチーズバーガー
・アイアンマン1作目の「私がアイアンマンだ」ってセリフがアドリブだったっていうの最近知ってすごいなと思った
アントマンにいっぱい見せ場があってうれしかった。次は写真撮ってもらえるといいね
・【悲報】ビジョンさん、石が入ってるだけの男梅としてひっそりと逝く
・キャップ「人生やり直したら楽しかった。盾はサムくんにあげるね」サム「ありがとう」親友のバッキー「……」
・ストレンジ先生、1400万回のリセマラお疲れ様でした

以上、メモっす。僕はまたアイアンマン1を観返そうと思います。カーン…カーン…カーン…


すくすくと老害に育った私がサウナにハマったという話(ねとらぼ同人誌寄稿コラム)

こんにちは、泥酔クソおじさんです。

生活におけるえげつないストレスですっかり酒を飲み散らかしている昨今ですが、そんな僕が社畜をやらせてもらっているスーパーインターネットメディア「ねとらぼ」さんが初の同人誌『ねとらぼん』を作りました。1月19日の「第4回ウェブメディアびっくりセール」で売り倒すそうです。詳しくはこちらをどうぞ。



本のテーマは「ネットと銭湯サウナ」ということで、最近サウナにいる時しか生きている実感を得られないファックな体になってしまった僕も短いコラムを書かせてもらいました。ヨッピーさんをはじめ著名な寄稿者の皆さんの玉稿はねとらぼ上でも随時公開されているのですが、「君は自分のブロマガにでも載せたら?」と言われたので載せます。ねとらぼ大好き!

僕のは酔っ払いの愚痴そのものみたいなしょうもない駄文ですが、ねとらぼんでは他にも編集部の黒木くんが失恋した勢いでサウナに行って水風呂で号泣したというエッセイや、その黒木くんらに連日「お前も銭湯にハマれ」という風呂ハラを受けている編集部のイッコウさんがとうとうブチ切れて書いた告発文など、血で書かれた文章が盛りだくさんの素敵な仕上がりになっています。みんな最高の仲間たちです。ねとらぼ大好き!

-----------------------------------------------------------
「冷凍都市の俺、熱室で自問自答」

 サウナは祈りだ。僕は祈る。

 というのは舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。』の名書き出し「愛は祈りだ」の純然たるパクリなのだけど、果たして僕にとってサウナというのは祈りだ。
 そもそもサウナというのはものすごく特殊な空間である。全裸の人間が密室にぎゅうぎゅうになって「あー」「うぃー」などの唸り声を発しながら汗をビチャビチャにかきあっている。
 なんかネットだと「サウナはいいぞ」みたいな言説が最近やたら幅を利かせてるので言っておくと、サウナ好きになった僕から見てもやっぱ気持ち悪いおっさんみたいなのは圧倒的にいて、汗も流さずに水風呂に頭からダイブするおっさんとかすげえいる。サウナ室のテレビに向かって1人で永久に話しかけているおっさんもいる。ああいう人がYahoo!ニュースのコメント欄で誰に向けているのかもわからんクソみたいな罵倒をしてるんだろうなと思う。そのへん、結局社会と同じだ。

 それでもなぜサウナに行くのか。そこには僕の中でひとつ明確な答えがあって、つまり「サウナにはインターネットがない」のである。

 僕はインターネットが好きだ。15歳で高校に進学せずテキストサイトを立ち上げたくらいインターネットが好きだ。大学を留年してニコニコ動画にゲーム実況動画を投稿し始めたくらいインターネットが好きだ。就職をせずライターになって最終的に「ねとらぼ」とかいうインターネットど真ん中のメディアで記事を書いているくらいインターネットが好きだ。
 そのせいかもしれないのだけど、最近インターネットがあんまり好きじゃない。
 こんなことを言うと老害だと思われるので普段はあまり言わないのだけど、僕の実態というのは純然たるインターネット老害で、心のヤフコメではクソデカフォントで「昔のインターネットはよかったなー!」と絶叫している。なんなんすかね、最近のネット。わけわからんリア充とか意識高い層がネットでゴリゴリに自己主張を始めたり、重箱の隅をつつくようなくだらない炎上ネタが多発したり、しょうもないこすり倒されたテンプレネタが何度もバズったり。別に僕も仕事だしそれでみんなが喜んでくれるならと思って一生懸命やっているが、それでメディア関係者とかライターがPVだのバズったのでぴいぴい言ってると「なんだかなあ」って冷めちゃうのだ。10度以下の水風呂くらい冷める。

 僕にとってインターネットというのは現実からはみ出してしまったひねくれ者の「居場所」だった。それが色んな時代の変化によってただの「現実」であり「仕事場」になってしまったのが切ない。
 もちろんそうではないひねくれたインターネットもまだまだあちこちにあるのだけど、そういうのは仕事にならんので結果として自分の接するインターネットの温度が下がっていくわけです。100度のドライサウナで熱くなってたのが今じゃ60度のミストサウナになったみたいな。いや、低温のミストサウナはすごい好きなんだけど。

 そんな頃、ネットが遮断されたサウナに出会って僕は「祈り」に到達した。
 例えばテレビ付きのサウナ。僕はあそこでひとつも興味のないバラエティとかクイズ番組を観てボーッとするのが好きなのだけど、特に好きなのが野球とか相撲の中継だ。あの打者は打つのか、どっちのデブが勝つのか。どっちのこともよく知らんけど。そういうどうでもいい対決を見守って結果が出たとき、なぜかサウナ室の中でちょっと「おっ」みたいな声があがる。あれって讃美歌だと思うのだ。
 「この決着が着いたら出よう」っていう砂時計代わりの無責任な一体感。それはじりじりした熱さと結びついて、刹那的な熱狂につながっている。何かに夢中になる感覚を疑似体験できる。
 もっと好きなのはテレビの無い静かなサウナだ。それぞれ自分の爪の先とか壁の一点とかを見つめながらただジーッとしている。ボーッとしている。そこで思うのは今日の仕事の失敗とか行きたくない飲み会の予定とか昔好きだったけどうまくいかなかったあの娘のことだったりとかするのだ。それをサウナストーブのシューッという音を聞きながら汗と一緒に流してしまう。アロマのちょっといい香りでもしていれば最高だ。

 サウナは僕にとって現実との、ネットとの接続を断ち切れる唯一の時間だ。そこでしか気付けない、思い出せないことがいくつもある。その時間はきっと祈りだと思うのだ。
 日々の生活は楽じゃない。労働者に考える時間を与えないように課題を与え続けるのがいい経営者だったりする。あるいは考えさせないようにしてくれるほうが楽だっていうのもきっと普通の感覚だろう。
 それでも時々は考えたいと思う人間もいる。だけど考えることは基本的に苦痛だ。そんなとき、人は祈る。ただ救われたい、と祈りたいときがある。その祈りに没頭できるのがフルチンで灼熱の密室空間に閉じ込められているときだけ、という僕のような人間もいるのだ。

 サウナは祈りだ。僕は祈る。まだまだインターネットを、現実を愛していたいから。
-----------------------------------------------------------


ペルソナ5がこの夏のすべてだった

傑作と評判のJRPGペルソナ5」をクリアしました。仕事終わりと休日のほとんどをこのゲームに捧げ、総プレイ時間は約150時間。まあそのうち30時間くらいはゲームつけっぱなしでカレー食ったり野球見たりしてましたが、ほぼこの夏のすべてをぶち込んだと言っていいでしょう。


普通は100時間くらいで終わるらしい

W杯が終わって完全に無気力になったタイミングで始めたこのゲームは、廃人化した自分をちゃんと夢中にしてくれる僕にとっての「心の怪盗団」でした。終わっちゃってまたやることなくなったのでとりあえずこの文章を書いています。

致命的なネタバレにならない範囲で言うと、ペルソナ5は人の心の世界に入り込んで悪人を改心させる力を得た高校生たちが「心の怪盗団」となってなんやかんやする話です。現実世界では勉強やバイトをしてモテるスキルを磨き、同居する妖怪寝かせ猫の「今日はもう寝ようぜ」攻撃を回避しながら出会う女全員を見境なく口説いて「よし!」とガッツポーズをする青春恋愛バトルシミュレーションゲームです。僕はペルソナシリーズ初プレイでしたが、どれも大体こういうゲームらしいです。違うのでちゃんとしたことはwikiなどを見てください。

現実の東京を舞台にした街並みは楽しく、音楽もUIもオシャレでさすがアトラスさんだなと思いました。急にペルソナが覚醒する中二っぽい展開も演出のよさで押し通してます。プロの仕事を感じました。マジで。

シナリオは賛否両論あるようですが、OPから後半頭にかけてはめっちゃ楽しかったです。「怪盗団」という悪そうなやつが善人で、世間で上っ面だけいい顔してるやつが実は悪人、っていうのはわかりやすい構図で痛快です。「本当の正義とはなんなのか」みたいなテーマをもっと哲学レベルで深掘りできたら神ゲー確定だったと思うんですが、そもそも現実ですら誰も解決できてないそういうことをペルソナ5が解決するのはそれこそ無理ゲーだし、ゲームのシナリオとしてまとめなきゃいけない制約の中では頑張ってバランス取ってると思います。むしろ問題提起してるだけで意欲的だと思いました。(僕はまどマギ見て「キュゥべえは終始正論を言ってる」って駄々こねる偏屈なので無視してください)

ペルソナっていうのはもう1人の自分なので基本敵に1人1つしかないんですが、主人公だけ複数のペルソナを扱える「ワイルド」という能力を持っています。この能力を駆使して主人公はさまざまな敵(シャドウ)を言いくるめて仲間として戦わせた挙句ぶっ殺してアイテムにしたり、担任の女教師を口説いて彼女にした挙句電話で呼びつけてカレーを作らせてる間に自分は別の女を口説きに行けたりします。やってることが無茶苦茶すぎてすごい笑いました。「悪人を改心させる」とか言ってるけど明らかに一番の悪人は自分だな、とプレイしながら終始ツッコミを入れて楽しめます。だってそうしたほうが効率いいんだもん!(プレイには個人差があります)

怪盗団のメンバーはみんな居場所を失って「理不尽と戦う」という意思を持っています。そのへんが僕はグッとくるポイントだったんですが、シナリオの要請でところどころちぐはぐなこと言ってたり、切羽詰まった状況なんだけどプレイヤー的な視点で見るとどうしても釣りがしたかったりして、そのへんのメタ的な視点を絡めるとより深みを感じられて面白かったです。人生って理不尽なことばかりだしそういう世界の中で自分も理不尽なことさんざんやって生きてるよな、と。

キレのある直球が売りなんだけどとんでもない暴投もする。でも逆球が最高のコースでストライク入っちゃったりもする。そんな感じで僕が夏を棒に振って悔いのない、非常に満足度の高いゲームでした。