おしまいおじさんはなぜ配信で泥酔して「除雪車」という言葉で号泣したのか
どうも、おしまいおじさんです。本日は表題の出来事について弁明というかそういうアレをさせてください。
まずインターネットで生配信をしたりする人間の98%は頭がおかしいということは周知の通りですが、その中にも段階というかセーフアウトの分岐点みたいなものはあって、表題の行為というのは1回表で27アウトになるようなありえない行為だということです。私がやりました。
とは言えこの世に意味のないことなんてのはひとつもないわけでありまして、私がそこに至った経緯にも一応の理由は説明可能です。既に引退試合を終えた私が今さら負け試合の振り返りを行っても進んだ時計の針が巻き戻るわけではありませんが、遺言のようなものだと思って聞き流していただければと思います。
犯行当日の1月20日、僕容疑者は友人とのゴキゲンなキャンプ旅行を終えて帰宅しました。祭りのあとの楽しくも少し切ない余韻、翌日から現実が再開されるという絶望、二日酔いの体に酒を流し込んでいく自暴自棄感、これらの感覚のどれかは頭のおかしくない読者諸兄に置かれましても多少はご理解可能なのではないかと愚察いたすところであります。
そうした感情がサイゼのドリンクバーで高校生が作る謎カクテル状態になった私は、感情の排水溝としておなじみの自身のニコ生チャンネルに垂れ流すことにしました。そんで「旅行おもろかったわ」「明日から仕事とか無茶だから今日で死ぬわ」といったごく常識的な意見を述べながら酒を飲んでいました。この時点で既に引いてしまう人類もいるかと思いますが、A級妖怪以上の皆様に向けて話しておりますので霊力の弱い方は結界の張ってある場所でご覧ください。
こんな配信のタイムシフトをまともに観返す勇気は自分にはないのでほぼ断片的な記憶をもとにお話ししていますが、酒がキマってきた私はコメントを全肯定するという遊びを始めたかと思います。「今日は残業してつらかった」「残業とか全人類がいまだなしえてない偉業だからえらい」「トイレでうんちできたよ」「お行儀がよすぎる。そんなのフランス料理のマナーより難しい」とかそういうノリです。これは私の大好きな感動漫画「はぐちさん」の模倣的な行為だと思われます。
私には1~2年に一度くらい、「純度100の泣き上戸に入る」という奇癖があります。これは半分意図的な部分もありその代表的なものが「今日は大好きな感動映画のアイ・アム・サムを観てめっちゃ泣いてこましたろ」とかいうやり方です。基本感情表現が下手な人間なので1人自宅で深夜泥酔したときに、いいストーリーやいい音楽に全力で身をゆだねて感情をだだ漏れにするという方法論です。ストレスが溜まってくるとお笑いをめちゃくちゃ見て笑うというセラピーもよくやるのですが、その反対のものになります。
その配信時、「泥酔」「ストレス」「いいBGM」「感動要素(はぐちさん)」「もうどうでもええわという自暴自棄感(感情の解放)」といった諸条件が偶然にも全て揃っていました。専門用語で「状態に入る」と呼びます。つまり衆人環視の状態で隠しスキルの「泣き上戸」が発動してしまい、私は「ヤバイ、今なんでも泣ける状態に入った」といった旨の自白をしたかと思います。
そこでおそらく皆様がなんか適当なことを言ってくだすったのだと思いますが、私の目に「除雪車きたよー」というコメントが飛び込んでまいりました。多分雪国にお住いの方で除雪車がきたんだと思います。
私はそれを見てオヨヨヨヨと泣き始めたかと思います。怖いでしょう。俺だって怖いんだ。
この現象をロジカルに説明しますと、「なんでも泣ける」という状態に「除雪車」が「きたよー」すると、「除雪車ってなんてえらいんだ」という感情で泣き始めます。
寒くて暗くて人影のない夜にたった1人でみんなのために雪を除けていく除雪車が走っている。その頑張りは取り立てて評価されません。「除雪車なんだから当たり前だろ」ならまだよく、なんなら「夜中にでかい音出してうるせえな」とか嫌われるまであります。
それでも除雪車は文句ひとつ言わず、そんな人たちのために除雪をやり続けます。それが除雪車に生まれた者の宿命であり、それ以外の夢を持つ権利すら除雪車にははじめから与えられていないからです。
家族を乗せてドライブに行きみんなを笑顔にする車がいる。熱いレースを繰り広げて称賛を浴びる車がある。でも除雪車にそんな未来はなかった。だから今日も孤独に除雪をするために走っていたのです。
そんなビジョンが自分のことをはぐちさんだと思い込んでいる34歳泥酔おじさんの脳裏に一瞬で浮かび、「俺だけは除雪車の気持ちを汲んでやりたい」といってむせび泣き始めたということです。泣き疲れたおじさんは配信をつけたまま椅子で寝落ちし、無事人生おしまいおじさんとなって社会的に引退しました。
今もこの文章を書きながら酒を飲んでいるんですが、書けば書くほど「こいつ頭おかしいんじゃないか」という気持ちになっています。状態に入っていないからです。それなのにこんなことを長々と説明してるのもだいぶ頭おかしいのでまあやっぱり頭おかしいんだと思います。
現場からは以上です。私から伝えたいのはストレスと酒の飲みすぎには気を付けようということと、おしまいおじさんのことは嫌いになっても除雪車のことは嫌いにならないでほしいということです。
まずインターネットで生配信をしたりする人間の98%は頭がおかしいということは周知の通りですが、その中にも段階というかセーフアウトの分岐点みたいなものはあって、表題の行為というのは1回表で27アウトになるようなありえない行為だということです。私がやりました。
とは言えこの世に意味のないことなんてのはひとつもないわけでありまして、私がそこに至った経緯にも一応の理由は説明可能です。既に引退試合を終えた私が今さら負け試合の振り返りを行っても進んだ時計の針が巻き戻るわけではありませんが、遺言のようなものだと思って聞き流していただければと思います。
犯行当日の1月20日、僕容疑者は友人とのゴキゲンなキャンプ旅行を終えて帰宅しました。祭りのあとの楽しくも少し切ない余韻、翌日から現実が再開されるという絶望、二日酔いの体に酒を流し込んでいく自暴自棄感、これらの感覚のどれかは頭のおかしくない読者諸兄に置かれましても多少はご理解可能なのではないかと愚察いたすところであります。
そうした感情がサイゼのドリンクバーで高校生が作る謎カクテル状態になった私は、感情の排水溝としておなじみの自身のニコ生チャンネルに垂れ流すことにしました。そんで「旅行おもろかったわ」「明日から仕事とか無茶だから今日で死ぬわ」といったごく常識的な意見を述べながら酒を飲んでいました。この時点で既に引いてしまう人類もいるかと思いますが、A級妖怪以上の皆様に向けて話しておりますので霊力の弱い方は結界の張ってある場所でご覧ください。
こんな配信のタイムシフトをまともに観返す勇気は自分にはないのでほぼ断片的な記憶をもとにお話ししていますが、酒がキマってきた私はコメントを全肯定するという遊びを始めたかと思います。「今日は残業してつらかった」「残業とか全人類がいまだなしえてない偉業だからえらい」「トイレでうんちできたよ」「お行儀がよすぎる。そんなのフランス料理のマナーより難しい」とかそういうノリです。これは私の大好きな感動漫画「はぐちさん」の模倣的な行為だと思われます。
私には1~2年に一度くらい、「純度100の泣き上戸に入る」という奇癖があります。これは半分意図的な部分もありその代表的なものが「今日は大好きな感動映画のアイ・アム・サムを観てめっちゃ泣いてこましたろ」とかいうやり方です。基本感情表現が下手な人間なので1人自宅で深夜泥酔したときに、いいストーリーやいい音楽に全力で身をゆだねて感情をだだ漏れにするという方法論です。ストレスが溜まってくるとお笑いをめちゃくちゃ見て笑うというセラピーもよくやるのですが、その反対のものになります。
その配信時、「泥酔」「ストレス」「いいBGM」「感動要素(はぐちさん)」「もうどうでもええわという自暴自棄感(感情の解放)」といった諸条件が偶然にも全て揃っていました。専門用語で「状態に入る」と呼びます。つまり衆人環視の状態で隠しスキルの「泣き上戸」が発動してしまい、私は「ヤバイ、今なんでも泣ける状態に入った」といった旨の自白をしたかと思います。
そこでおそらく皆様がなんか適当なことを言ってくだすったのだと思いますが、私の目に「除雪車きたよー」というコメントが飛び込んでまいりました。多分雪国にお住いの方で除雪車がきたんだと思います。
私はそれを見てオヨヨヨヨと泣き始めたかと思います。怖いでしょう。俺だって怖いんだ。
この現象をロジカルに説明しますと、「なんでも泣ける」という状態に「除雪車」が「きたよー」すると、「除雪車ってなんてえらいんだ」という感情で泣き始めます。
寒くて暗くて人影のない夜にたった1人でみんなのために雪を除けていく除雪車が走っている。その頑張りは取り立てて評価されません。「除雪車なんだから当たり前だろ」ならまだよく、なんなら「夜中にでかい音出してうるせえな」とか嫌われるまであります。
それでも除雪車は文句ひとつ言わず、そんな人たちのために除雪をやり続けます。それが除雪車に生まれた者の宿命であり、それ以外の夢を持つ権利すら除雪車にははじめから与えられていないからです。
家族を乗せてドライブに行きみんなを笑顔にする車がいる。熱いレースを繰り広げて称賛を浴びる車がある。でも除雪車にそんな未来はなかった。だから今日も孤独に除雪をするために走っていたのです。
そんなビジョンが自分のことをはぐちさんだと思い込んでいる34歳泥酔おじさんの脳裏に一瞬で浮かび、「俺だけは除雪車の気持ちを汲んでやりたい」といってむせび泣き始めたということです。泣き疲れたおじさんは配信をつけたまま椅子で寝落ちし、無事人生おしまいおじさんとなって社会的に引退しました。
今もこの文章を書きながら酒を飲んでいるんですが、書けば書くほど「こいつ頭おかしいんじゃないか」という気持ちになっています。状態に入っていないからです。それなのにこんなことを長々と説明してるのもだいぶ頭おかしいのでまあやっぱり頭おかしいんだと思います。
現場からは以上です。私から伝えたいのはストレスと酒の飲みすぎには気を付けようということと、おしまいおじさんのことは嫌いになっても除雪車のことは嫌いにならないでほしいということです。