たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

何の映画が一番好き?みたいなトークで僕は強く「アイ・アム・サム」ということにした話

よく友達と映画の話になると「今までで一番好きな映画って何?」みたいな話になるじゃないすか。前までそういうときちょっとかっこつけた映画を言ってたんですけど、30過ぎたくらいからもう開き直って「アイ・アム・サム」って言うようになりました。こんばんは、アイアムたろちんです。


サントラもいいぞ

アイアムサムは2001年に公開されたわりと凡庸な映画の1つで、7歳の知能しかない知的障害の父親がシングルファザーで娘を育てて、娘が7歳になっちゃったときに娘のほうが賢くてやべーってなる話です。ショーン・ペン知的障害者の演技をモノホン級に上手くやったり幼女時代のダコタ・ファニングが天使すぎたことなどでプチ評価された映画です。「24時間テレビは感動ポルノ!」ってなる今の時代だったらもっとクソ扱いされてる映画だと思います。

でもこの映画を、「24時間テレビとかキモッ!」って言ってトガってた15歳くらいの僕は母ちゃんと観に行ってショボショボに泣きました。千葉の僻地のユーカリが丘ってとこの映画館で観ました。「レイトショーだから安いやん」って2人で喜んで行ったらレイトすぎて終電なくなってタクシーで帰った記憶があります。母ちゃんごめんね。

この映画の魅力がショーン・ペンの迫真障碍者っぷりとダコタ・ファニングの天才子役っぷりにあることは議論の余地がないのですが、キモになるのは「サム(ショーン・ペン)は知能はアレだけどビートルズのことは超好きなので超わかる」ということです。いわゆるサヴァン的な表現なんですが、この映画だとそこがメインではなくスパイス的に使われている。この辺が感動ポルノなのに泣いちゃう理由のひとつです。以下全ネタバレなのでアレしてください。

サムはむちゃくちゃいいやつです。スタバの障碍者枠でバイトしてるんだけど注文に対して絶対「いいチョイスだね」って言ってくれる。すぐコーヒーこぼしてテンパったりするんだけどいいやつ。そんで経緯はちゃんと描かれないけどホームレスの女性とアレして子どもが産まれちゃう。母親は産んですぐ逃げちゃうんだけどサムは喜んで娘に「ルーシー・ダイアモンド」って名前を付ける。もちろん由来はビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」。ルーシーはサムにとってのダイヤモンドなんよ。(DVD見てると開始5分くらいのここでもう泣く)

サムとルーシーは超仲のいい父娘として暮らします。それこそお互い子どもみたいにキャッキャしながら。ところが。ルーシーが7歳くらいになると学校の話とかで「パパ、これはどういうことなの?」みたいな好奇心旺盛な質問をするようになります。サムは知能的に限界なので「えっと……そんなことよりいつもの絵本を読もうよ」みたいになる。ルーシーは天使的にダイヤモンドなので「あっ……(察し)。絵本たのしいね」ってやってくれるんですがだんだんパパに不満をぶつけるようにもなっていきます。(ここでまた5回くらい泣きます)

サムも7歳おじさんなりに色々考えます。近所に住んでる対人恐怖症のおばちゃんに「ルーシーには母親が必要だ」とか言って話し相手を頼んだりします。あと友人の知的障碍者グループで一緒に誕生日プレゼントを選んでみたりします。友人たちに「毎週何曜日は映画をみんなで見る日って何年も前から決まってるだろ」「サム約束を守れ」とか言われながら。(この辺で幸せそうなアビイロードのジャケ写のパロディが入ったりしてまた泣きます)

こんな感じでうまいことやってきたんですが、サムはやっぱり7歳おじさんなのである日そういう施設から「お前は養育能力ないから施設で引き取るわ」というお役所的な通告をされてしまいます。そんで色々あってルーシーは別の里親に引き取られることになります。サムはバチボコにヘコむんですがどうにもできません。(ここでブログを書いている僕が1回泣きます)

そんな感じになってからもサムはルーシーにちょっとでも会おうと色々頑張るんですが、里親の母ちゃんから「そういうのやめてくれへん」とたしなめられて「せやな……」ってなります。でもルーシーがあまりに「パパ……」ってなるので会うことを許します。ほんで久しぶりに会います。その時のシーンがむっちゃ好きなのでそこだけ書きます。(この辺正確にどうだったかを確認しようとして今軽くDVD見たら5回泣きました)

サムと久々に再会したルーシーはまずブチギレます。「なんで会いに来なかったの」「私のことはもう忘れちゃったんでしょ」と。でもそういう突発的なことに対処できないサムは事前に手紙を書いてきていました。そこで読み上げるのがルーシーのことをいつも考えていること、空の上にいるダイヤモンドのようなルーシーのこと、そして「P.S.アイラブユー あの歌のように君を愛しているよ」というビートルズの歌になぞらえた不器用な言葉でした。(ここで全人類が泣く)



本編では他にも子供と不仲の仕事バリバリ系弁護士女性とのエピソードとかサムと陽気な仲間たち(実際に知的障害の人も出てる)の絶妙なやり取りとか見どころは多いんだけど、そうしたディテールの素晴らしさがこの映画を好きな理由なのであとは観ていただきたい。ビートルズのことしかわからない不器用なサムと、それを優しく包み込むように全編に流れる様々なアーティストによるビートルズカバーのBGMがこの映画にはあります。「感動ポルノなんかダセー!」と思ってる僕をP.S.アイラブユーのさりげなさでそっと溶かしてくれるところが好きすぎて僕はこの映画が人生で一番好きな映画だと言うようにしています。

藤井聡太くんが若すぎる将棋のレジェンドになる瞬間を生で見てきて思った「一握り以外の人生」について

どうも、観る将棋ファンです。今日は朝日杯将棋オープン戦という将棋の公開対局を見てきました。今日死ぬほどニュースになってた「藤井五段が羽生竜王を撃破!」「藤井五段が最年少棋戦優勝で六段に昇段!」「羽生金メダル!」っていうアレです。


会場でも号外を配ってました

朝日杯というのは将棋の公式対局でも極めて特殊な大会で、ベスト4の対局が観客入りの公開対局で行われます。「将棋を現地観戦する」っていう場合、普通は将棋会館とかタイトル戦やってる旅館とかに行っても対局者とは別の解説会場でプロの解説や対局してる部屋の映像なんかを見るんですが、朝日杯はガチで対局者と同じ部屋で同じ空気を吸いながら見れます。ガチ対局してる横で「この手は次にこういう狙いがありますね~」とかいう解説はできないので、当然ながらシーンとした部屋で見ることになります(別室に解説用の部屋もある)。

僕みたいな棋力クソザコの観る将棋ファンにとっての面白さって解説するプロの「おおっ、なんだこの手は!」っていうリアクションや「これは次にこうやってこうなるから優勢ですね」っていう説明にあるので、プロの指し手だけ見てても基本的に「どっちが勝ってるのかわからん」ってなります。そんなの面白いの?って思うでしょう。僕も思ってました。ところがこれがめちゃくちゃ面白かったです。

解説がないから指し手の意味を自力で考えるしかない。そんで「次こうやったらどうなんの?」とか考える。その手を対局者が指したりすると「うわ、俺つえー!」とかなるし、それに対して全然自分の思ってたのと違う指し手が返ってきたりすると「そんな返し考えもしなかった、負けました」ってなったりする。で、またそれを上回る指し手が出たりするのの連続でプロってやっぱすげーっていうのをなんか肌で感じられたのがすごかったです。プロなんだから当たり前なんだけど見てるだけで「早く解説してよー」って態度だと得られなかった経験なのでほんとよかった。自力で向き合って初めてわかる感覚というか、サッカーやったことあると「後ろ向きのボールめっちゃトラップするのハンパねー」みたいな意味がなんとなく理解できる感覚に近いと思う。

ところで今回の朝日杯の目玉は藤井くんと羽生さんが公式戦で初めて対局するという準決勝にありました。非公式戦では1勝1敗。新たな将棋界のスターが永世七冠かつ国民栄誉賞のレジェンドといよいよガチ試合で格付けをする、っていう歴史的な一局です。

結果は皆さんご存知のとおり藤井くんが勝ちました。羽生さんは藤井くん対策として実績もあり今期の朝日杯でも何度か採用した裏芸「藤井システム」という戦法を使うかどうかもちょっと注目してたのですが(名前とかややこしいので詳細はこっちの文章で)、初の公式対局は現代将棋の最新型で正々堂々ぶつかって敗れた形です。羽生さんは横綱として戦い、負けた。この姿勢も立派だしそれ故に藤井くんのすごさが明確になったんじゃないかと思います。

で、僕は実はこの対局は観戦しませんでした。もう一方の準決勝、広瀬八段VS久保王将のほうを生観戦してました。理由は広瀬先生に取材とかで実際にお会いしてお世話になっていたことがメインですが、あまりにも漫画的なサクセス階段をボルト級の人類最速で駆け上がる藤井くんを止める存在も出てこないと「この漫画全3巻くらいでやることなくなっちゃうぞ」という勝手な編集者的懸念もありました。「圧倒的成功」という歴史的瞬間も見たいけど、「若きスターのつまづき(とその後のリベンジ)」という物語も見たいという複雑な将棋ファン心理です。

広瀬八段は棋士のトップ10的ポジションのA級棋士で、今回の朝日杯でも菅井王位、渡辺棋王、久保王将という現役タイトルホルダー3人を倒して決勝に勝ち上がった人です。そして何より「終盤力」に定評があります。将棋は詰む詰まないで決着がつくゲームという性質上「最後にミスをしたほうが負ける」ゲームです。瞬発力が求められる終盤はさすがの羽生さんでも年齢による陰りが指摘される部分でもあり、「数百人の観客を前に記録がかかった大舞台に臨むプレッシャーがかかるまだ中学生の藤井五段」という部分も考慮すれば、相当に大きな壁として立ちはだかるのではないかと思いました。

結果は藤井くんの勝ちでした。小学生時代から将来を嘱望され、その期待に過剰すぎるほどことごとく応えてきた若きホープは、恐るべき冷静さで広瀬八段の勝負手をいなし、コンピューター的な最善手と人間的勝負術をハイブリッドにした指し手を選び続け、朝日新聞に納得の号外を出させました。最年少で全棋士参加棋戦優勝という記録を打ち立て、この日藤井新六段は名実ともに「将棋界のレジェンド」になったのだと思います。

これについて、僕が最近心底感銘を受けた元奨励会員で作家の橋本長道さんのコラムの一節を引用したいです。
彼は中学生棋士であるからすごいのではなく、指している将棋の内容がスーパースターのそれだからすごいのだ。
(中略)
――スターは相手の得意形を避けない。スターは攻め将棋だ。スターはあきらめない。スターは最後に勝利する。
本当にこの通りでしかないです。将棋界のスターを超えて国民的なスターとなった羽生さんが「名人」や「永世七冠」でなく多くの人に「羽生さん」と呼ばれるように、僕も敬意を込めて「藤井くん」と呼ばせてもらいます。藤井くん、ほんとにすごいです。化け物です。なるはやで「藤井聡太物語~宇宙リーグ編~」の新連載を開始してほしい。

そしてその裏に横綱として藤井くんに負けた羽生さんや、藤井くん一番の得意戦法である「角換わり」を受けて立った広瀬八段が素晴らしかったことも特筆しておきたい。すごい対局はすごい対局者がいてこそ生まれるのが将棋です。そんな将棋が生まれる瞬間を、目の前で息遣いを感じながら見ることができた今日の朝日杯は、ただの一ファンとして本当に光栄でした。

追い詰められた局面から一発逆転を狙った広瀬八段の攻防の「3七角」や、一見敵玉と無関係な場所に桂馬をタダ捨てする藤井くんの決め手「4四桂」などが僕の心に今も強く刺さっています。

将棋って全ての情報が盤上に開示されててすごく運の要素が少ないゲームなので負けると本当に「俺ってバカだな、弱いな」って落ち込みます。プライドや生活や人生の全てを賭けてるプロだとその比じゃなくて、負けた悔しさで千駄ヶ谷からスーツと革靴で横浜まで走って帰った某森内先生などまでいると聞きます。そんな状態で会場に出てきて「(藤井くんに攻められて1人ぼっちになってしまった自玉が)まるで藤井くんを応援したい皆さんと僕のよう」と場を和ませてくれた広瀬八段や、藤井くんを称えつつ「もっと僕たちがもっと頑張らないといけませんね」と笑顔を見せてくれた解説の佐藤天彦名人(朝日杯で藤井くんに負けた)のことをもっと応援していきたいと思いました。

プロ棋士は日本中の将棋の天才の中でも「一握り」の超天才しかなれないすごい職業です。羽生さんや藤井くんはその中で「一握り以上」の輝きを放つからスターなのかもしれない。1人1人はどこにいってもスーパースターになれるのに、その天才同士で戦いあってはっきりとした勝ちと負けを繰り返す。解説や指導や執筆や詰将棋など得意分野で個性を発揮する人もいますが、棋士である以上勝負を本義とすることからは逃れられないし、そこには常に明確な「勝ち」と「負け」が生まれます。

僕はたぶんその両方のドラマに感動していて、それはやっぱり僕が「一握り以外」の人間だからで、今日の羽生さんや広瀬八段の負けなんかはそんな僕にも「意味のある、美しい負けもある」と教えてくれたような気がしていて、だから僕は将棋を観るのが好きなんです。

嘘つきバービー「バビブベ以外人間」の謎歌詞を分析したい

嘘つきバービーっていう何年か前に解散しちゃった3ピースバンドがちょっと好きでした。結構変なバンドでゆらゆら帝国とかと比較されることが多かったバンドだと思うんだけど、そのバンドの「バビブベ以外人間」っていう曲が好きで、その歌詞がまたイカれてて好きだったんです。

音楽でグッと好きになるとき、僕の場合はかなり歌詞が大事になる人間なので「俺はなんでこの歌詞が好きなんだろう」って当時からずっと考えてたんですけど、僕と同じようなどこかの誰かのために僕が分析したことを書き残しておきます。数年前に書こうと思ってなんかやめちゃったんですけど、今さらやっぱ書いておけばよかったって思ったので。ほぼ主観なのでノークレームノーリターンでお願いしたいですが、曲はかっこいいのでぜひ聴いてみてください。



前提としてこの曲は「愛と性欲」について書いた歌だと思う。わけわからんPVもそう見るとちょっと読み解ける気がします。登場人物は「僕」「中学生」「ボボ子(バビブベ以外人間)」の3人。中学生と大人の境目にあるような愛と性欲のバランスを歌ってるように読みました。
お願い事するたび アーメンの人から犬にされていく
超能力とかそういう力ではなく セロテープ はる
「犬」っていうのが動物的な性欲の象徴だと思う。「お願い事が終わった人=大人」はセックスとかを当たり前にするようになると。セロテープっていうのが難しいけど、「セロテープ=透明=裸」って感じでセックスアピールが直接的になることを言ってるのかなあと。ここあんま自信ない。
朝育つわん まばたきすればてろてろとズボンの裾から
流れる 熱っぽい大量の脳 すべる犬っぽい問題の脳
ミーがあげるわん アメリカ人にもらったでかい方の風邪薬も
効かん 色っぽくしたたる脳 ずれる美術 バビブベ以外人間
朝育つのは朝勃ち。ズボンの裾から熱っぽくて犬っぽい問題の脳が流れるのはシンプルに「夢精」みたいなことでいいと思う。要するに中学生が性に目覚めて「なにこの感情、風邪薬も効かないんだけど~」って困惑してるってことかなと。
何かに巻かれるタイプの人間じゃないのに
足の先までがセロテープまみれ
こんなロマンチックな状況で僕は ボボ子に会いたいよ
さっきの「セロテープ=裸」理論でいくと、「俺、女の裸なんか興味なかったはずなのにそればっか考えちゃってどうしよう」って感じになる。自分の犬っぽい感情に戸惑って「ボボ子(バビブベ以外=人間)に会いたい」ってなってる。このへんは2番と対比になってます。
脳は育つは メーカーさんが頷いただけの粘着力で
右 犬っぽい半分の目 左 人っぽい半分の目だは
左右の目がそのまんま性欲と愛の狭間で揺れる中学生。大人の階段を上ることを「メーカーさんが頷いただけの粘着力」ってシニカルに表現してるのがかっこいい(と僕は思ってる)。
わり算のできない中学生たちが、さっきからちらちら視界に入る
彼らはこのロマンチックな姿には何の興味もない、
ただ手に持ったアイスを舐め続けるだけの人間。
わり算っていうのは「割り切った関係」のことかなと。大人になりつつある中学生が周り見て「あいつらまだ女とか興味ないんだな」っていうのが気になってる。わり算って小学生で習うやつだし。深読みすると「アイスを舐める」もおにんにん舐め舐め的なことに読めるし、それを「人間」ってちゃんと言ってるのもいい。ここだけ句読点入ってるのも意味深。
しかし僕も中学生と同じです
全身テカテカの輝きをほどこす
これじゃ駄目だ 犬にならなくちゃ ボボ子以外全部に会いたいよ
ここで「僕」が出てくる(ということだと思う)。セックスに消極的な大人の「僕」がもっと「犬」にならなくちゃ駄目だと思うから「ボボ子以外=犬=性に積極的な女性」に会いたいよと言ってる。別に人間でいいじゃん、自信持ちなよ、って感じだけどそれは次につながる。
僕はただ単純に愛が足りない 犬が欲しい
僕はただ純粋に愛をセリフで吐き出したい人間
愛が足りなくて寂しいから「犬」が欲しいんだけど、僕は「人間」だから言葉で伝える「愛」を持っていたいっていう悩みがあることがわかる。単純さと純粋さの狭間で揺れてる。この歌がそういう「僕」の葛藤を歌っているんだということがここで明かされて「なるほどー!」ってなる。
簡単に僕の環境を変えれる人は出てきてね
そんで、そんな複雑な心理を「簡単に変えれる人がいるなら出てきてね」って放り投げて終わる。ここですごい「わかるー!」ってなる。僕も簡単に僕の環境を変えれる人に出てきてほしくて「ゲイツに6億円もらいたい」とか言って生きてきたので。つまり出てこねえんだよそんなやつは!(ここで最初に戻ると一生この曲を楽しめます)

この曲は最初に聴いたときにやたらガツンときて、なぜかあんま他の人の分析とか読まずに1人で悶々と考えてたんだけど、今ググってみたら「バビブベ以外人間」っていうのは嘘つきバービーの前身バンド名で、この歌を書いた岩下優介(Vo./Ba.)の元愛犬の名前が「バービー」だったらしい。バービーと一緒にバンドをやってきたけど愛犬が死んじゃったから「嘘つきバービー」に改名したってことなのかな(未確認です)。


岩下さんはヘンテコだけど鋭いフレーズの歌詞をいろいろ書いてて、イロモノ視されることも多いけど言ってることはそこまでヘンテコじゃないはず、と思ってたのでこれを書きました。まあヘンテコ風に書いてる時点でヘンテコ人間じゃねえかというのはわかる。今は「ニガミ17才」というバンドをやってるみたいなのでそっちもいずれ聴いてみたいと思います。


ねこがにゃんする歌「ねこ子」もよいです

YouTubeをやってみて「やっぱ俺ニコニコ好きだわ」と思った話

こんにちは、特に始まったことのないオワコンです。最近長い沈黙を破ってYouTubeのほうにチャンネルを作りました。


イボーンさんと特に中身のないくっちゃべりをするラジオなどがメインコンテンツです

今さら自発的にインターネットデブリを増やしに行った犯行動機は大体3つほどあって、「最近ニコ生がクソ重かったりしてなんかやばい」「動画を投稿するっていう行為によって初期衝動的なものを思い出せるかもしれない」「なんか新しいことしたい」みたいな感じです。で、結論としてはやっぱ俺ニコニコ好きなんじゃないかなと思ったので適当に書き残します。

YouTubeの動画投稿すごい楽

2兆年ぶりくらいに動画というデータを作ったので録音ソフトやエンコードソフトなどの初期設定をするくだりで2兆回心が折れました。でも2兆1回目で無事なんとかなっていざ動画を投稿するとなったら、ファイルをドラッグアンドドロップするだけでほぼ9割の作業が思考停止でできて「すごい楽ー!」と思いました。あれはすごい楽。もうニコニコに何年も動画上げてないから今の状況知らんけど。

・初期衝動的なものは言うほど燃え盛らなかった

これは完全に僕のせいなんですけど「うおー! ワ、ワイの作った動画がYouTubeで見れとるー!」みたいな感動は一瞬しか持たなかった。口溶けのいいチョコくらい一瞬でふんわ~りと消えた。理由は自己分析できていてそもそも始める動機が口溶けのいいチョコくらいふんわ~りとしたものだったからです。

ただたまにニコ生やるだけで自分の人生を過去という水洗トイレに流していっても何も残らんけど、動画として残しておくとより老人になったときに「あの頃のわしのうんこはどんなんじゃったかのう」って見直して「おっ、当時のうんこのほうが今よりキレがあるわい(ホロリ)」とか懐かしんだりできるのでそういう意味でラジオでもなんでもなんかしら残しとくのは意味あるかなと思ってます。個人的に老後病室のベッドで半分ボケながら見返すためにもうちょい続けたい。なんだその理由。

・思ったより気を遣う

ニコ生と同じノリでくっちゃべってそのまま生のデータを投稿すればいっかぁ、と思ってたんですけどやるとなるとここはカットしたほうがいいよなあとかもうちょい短くまとめたいなあとか思っちゃって何気に手間がかかりました。あとおたよりとかも結構いただいてしまって全部に答えられないの申し訳ないなあとかでも長くなってもアレだしなあとか結構考えてしまって、社会人になるためにやむを得ず身につけた真面目さが仇となっている形です。根は真面目アピールです。いらんこと言ったわ。

・お金そんな言うほど欲しくない(嘘です欲しい)

YouTubeは広告とか投げ銭とかでお金もらえるという点でニコニコ(ノーチャンス)<YouTube(ワンチャンス)というシンプルな利点があるなあと思ったし実際そういうことを言ったりもしたんですけど、いざそういうことができる状況になってみるとなんかリアルに500円とかもらったらどう反応していいかわかんないし数千再生とかの動画にうぜえ広告つけるのもなんかどうなんかなあとか思ってなんか微妙な気持ちです。昔は親に金借りて飲みに行くくらい切羽詰まってたからアレだけど今一応働いてるしとか。僕は本質的には資本主義のつらさを実感しているから6億円によって解決したいというアンビバレンツな乞食なのでリアルな数百円みたいな数字を眼前に突き付けられるとなんかそれはそれでなんかなあと思ってしまうアレなのでなんか思ったよりモヤった。なんかなんかうるせえ。

・ニコニコはいろいろちょうどよい

自分の上げた動画でも周囲の人が上げたゲーム実況でも思うけど「やっぱコメント付きで見たいなあ」と思ってしまうというのが、俺やっぱニコニコ好きなんだなと思った最大の理由です。動画へのコメントとかツッコミとか色々と素人レベルの動画を優秀な素人が補ってくれるからインターネットのコンテンツが上手く回ってる部分はある、もしくはあったと思っていて、YouTubeはやっぱ一方的な投げっぱなし感があるなあと。もちろんコメントが流れることにもメリットとデメリットの両方あって、それこそコメントがあるせいでギスギスしてしまうケースも多々あって、それを個人的にも考えた上でYouTubeやってみたんですけど僕はやっぱコメント頼りな不完全な動画をほっぽり出せるニコニコが好きだなあと思いました。

このへんは投稿者の性格とか状況とかいろんな要因が絡むので改めて卒論を提出したいと思いますが、個人的にはニコニコならではの面白いコンテンツってまだあるので僕のような老害予備軍のためにもそういう場所がなくなんないでほしいなと思います。最近友人に教えてもらったアル中おじさんがめちゃくちゃするだけの料理動画「ハイボールの人」とかコメント無しだとやべえやつだけどコメントあるとめっちゃ面白かったりします。決して万人におすすめできるものではないです。



こういうのが何百万再生とかいっちゃうとまた違う問題が起こるのが今のインターネットなんだけど、そういうものの居場所があるのもインターネットのよさだと思うので、なんかうまいこと共存できたらいいなと思います。僕が存在していたい場所も多分そこらへんにあります。最近はそんな感じです。

最近のインターネットがつれぇので自分の黒歴史日記を読んでみた男

僕(32)です。最近やべーなと思ってることがあるんですけど、インターネットを17年くらいやってきてそれは個人的におもしれーと思ってたからやってたんすけど、最近インターネットそんなおもしろくねーなと思ってまして。急にマイナス方向のこと言ってすみません。全体的には面白い!(ここでバランスを取る)

いや、実際面白いことはいっぱいあります。ただ近年はなんかあるとすぐ炎上だー、とかポリコレだー、とか言って人と人がケンカするのが目につくようになってそういうのがやっぱつれぇわってなってます。別に昔からずっとあるんですけどね。テキストサイト好きだったときもネットバトルとか言って炎上商法やってる人いっぱいいたし。なんも変わらんですよ人間の性質とか。縄文時代から現代まで変わらねえってエレカシも言ってました。

最近Netflixで「DEVILMAN crybaby」っていうデビルマンのリメイクアニメを見たんですけど、人間のつれぇところを目いっぱい描いててすげえって感動しました。ネット配信すげえなって。やっぱおもしれえんじゃんインターネット。はい、面白いです。でも70年代にこんだけ衝撃的な表現があって「心を動かされた!」みたいな名作として語り継がれてて、なのに今なお我々は矮小な小競り合いを続けてるってなんか悲しいなあと。人間は忘れられる生き物であるが故に同じ過ちの歴史を繰り返すのかなあと。主語がでかいなあと。そこまで思ってないけどなんかそういうニュアンスのミッドナイトブルーを感じたりしました。本題がズレたけどその一つが最近のインターネットということです。

「最近のインターネット」とかいう最悪級の老害ワードを僕だって使いたくはないんです。じゃあ使うなよ。すいません。でも僕はつれぇのでここでひっそりとちょっとだけ言う。別にちょっとくらい過激なこと言ってもユーモアがあれば「あいつ攻めすぎだろw」くらいで済ませる寛容さがほしい。同じ表現なのに誰かをとても喜ばせることと誰かをとても傷つけてしまうことは実は結構この世の中に同時並行的に存在していて、取捨選択する権利があるのがインターネットの良さだ。というか人生の良さだ。まあ「嫌なら見るなと言われてるものをあえて見る」という権利があるのも人生の良さではあるので、ここまでの僕の主張に特に論理的な強固さはない。放談です。シンゴジラで「私は好きにした、君らも好きにしろ」って言葉があるけどあれとても好きなんですよね。

本当は昔インターネットで自分が書いてた日記を読み返すみたいなエントリを書きたかったんですけど、前置きが迷走しすぎた。まるで人生のように。以下は大学1年の冬、ジャズサークルやってた僕がセンター試験の時期に書いた日記です。読み飛ばしてください。
世はセンター試験という事でぴいぴい言ってますね。受験生の皆さんご苦労様です。僕は寒いから今日はウチでごろごろしてました。まあ受験なんてのは要するに何年間も興味の湧かない勉強をやり続ける忍耐、我慢、根気のある奴が勝つように出来てるので全国のぐうたら者の皆さんはそう気を落とさないで頂きたい。人にはそれぞれ向き不向きというのがあって、あなたは勉強とかそういうのが向いてないのです。だから仮にあなたが無理矢理レベルの高い大学に入学したとしてもそこは勉強に向いてるような人ばっかり集まる大学だから、あなたと気の合うような人はおらず、あなたは貴重な4年間の青春を無駄にするでしょう。それよりあなたの個性に、長所に目を向けましょう。さあ、教科書なんて投げ捨てて。鉛筆をドラムのスティックに持ち替えたらほら、アホ大学でへらへら笑ってサークルばっか行ってるたわけた大学生の出来上がり。なんて事を言ってるから最近のゆとり教育とかはダメなのであってもっと皆真面目にやる事はやっといたほうがいいよ。僕はやんないけど。断固。人間って環境に大変影響されやすい生き物で、受験の時とかって皆が大学大学言ってるから、じゃ、お、おれも、って感じで大学大学言っちゃうんですけど、冷静に考えてみれば大学なんてのは所詮人生の一部、一選択肢でしかない訳でそんなものに一生を左右される事なんて、これはもうはっきり言っちゃいますけど全然無いですよ。絶対無い。まあ、ありますけどね。どっちだよ! あれ、この前友達んちでコジコジ読んだらいい事言ってたんですけど、先生にお前将来なんになりたいとかねえのかよって聞かれたコジコジが、「コジコジは生まれた時からずーっと将来もコジコジだよ」って言ってまして、そういう事だなあと思いました。だから、大学生とかパイロットとかサラリーマンとか無職とかそういう事ではなく、コジコジコジコジとして、お前はお前として純粋にライフをゴーズオンしていけばいいんじゃねえの? とぼくは思う。幸せになるという事は即ち欲望の満たされた結果ですから、欲が満たされなかった場合は不幸になってしまう訳ですね。なんか周りに流されて大学行きてーとか思い出すと、それは欲望の発生ですからあとはもう頑張って大学行くしかないんですが、もう一つの解決法もあってそれはつまり、大学に行きたいと思わなければよいのです。そういう事で仏教の方ではやたら無欲無欲言う訳ですが、まあそれはちょっと飽食のトゥエンティーファーストセンチュリーに生きる我々デジタルボーイズアンドガールズには大分無理なので、必ずしも行きたい大学に行けなくてもそれは不幸ではないよという事だけ心の片隅にとめておいてほしいのです、先生は。大学に行くとか行かないにとらわれず、鳥の様に自由にすくすく生きていって欲しい。東大に行こうがものつくり大に行こうがお前はお前でしかないのだから、お前はお前をやり続ければそれが一番大事、とかいってもう何言ってるか完全に解んなくなったのでやめます。そして最後に言っておきたい事はここまでの文章は端から端まで全部が適当だという事で、なぜそんな事をしたかと言うとセンターのせいで大学が閉鎖されてドラムの練習が出来なくてヒマだったからです。皆明日のセンター試験も頑張ってね。大学は楽しいよ。

なげえよ。改行もないし。当時は改行しないのがかっこいいと思ってました。初期町田康の影響です。あと実際そういう文脈も当時の一部テキストサイトにあった。むちゃくちゃミーハーです。

若造がウエメセで好き勝手言ってるだけなんすけど、僕は僕なので僕が言ってることもちょっとわかるので擁護すると、当時の僕は中卒で高校行かず大検取得から一転攻勢で大学入学していろいろ失われた青春を取り戻して結構人生刺激あんじゃん、楽しいじゃん、をしてた時期です。そこかしこに見えるイキリに10代感を感じる。半端な仏教トークとか特に(無意味に個性派気取りでインド哲学科だった)。

でも当時の僕はこんなことをせいぜい十数人しか見てないブログに嬉々として書いてて、その感情はわりとピュアだったと思う。中卒でネットに居場所を求めて、そこでもバズってるものはよくわかんなくてネットの端っこでうじうじしてた気持ちと、それなりに普通の大学生がやれて友達もできて過去の居場所を変な半笑いでチラチラ振り返ってる気持ちと両方まざってる。

僕は現実もインターネットも両方好きで両方に感謝している。逆に言うとどっちにもなれない中途半端であって、そんな人がフラフラできるグレーゾーンがこの世のどっかに残り続けてほしいなと思ってます。

それは人によっては大学のサークルだったり近所のバーだったり2(5)ちゃんねるだったりはてな匿名ダイアリーだったりTwitterの鍵垢だったりするのかもしれない。それこそ「チラシの裏に書いてろ」と言われる戯れ言かもしれない。でもそういう他意のない放談が意図しない誰かの心に刺さったりして、例えその語り口が決して正しくもないことだったとしても、こっそり誰かと分かり合えたりするインターネットが、僕はやっぱり好きなのです。

マヂカルラブリーを絶対に許さない

もう皆さん今年のM-1のこととか忘れたころかと思います。せいぜい「シャケと牛肉どっちが勝ったんだっけ?」くらいのもんでしょう。よかったですね。僕はいまだに引きずっています。マヂカルラブリーとかいう大好きなコンビが最大の晴れ舞台で大人にめちゃくちゃ怒られたせいです。

僕は数年前に友人のすすめでマヂカルラブリーを知ってめちゃくちゃ気に入って推してきた者で今年のM-1を結構楽しみにしていました。それは期待でもあるけどそれ以上に不安でもある「何が起こるんだろう」という気持ちでした。とりあえずなんか起こるだろうとは思ってたわけですが、起きたのがアレですよ。上沼恵美子に叱られて野田くんが服脱いでスベった瞬間から僕の記憶は壊れており、今は「シャケと牛肉どっちが勝ったんだっけ?」みたいな状態です。壊れてしまった人

マヂカルラブリーが色々考えて決勝であのネタをやったんだということは、そんなに古参ファンでもない僕でも想像できます。でも、あれで「つまんね」って言われるのはやっぱり本意じゃない! 許せない! マヂカルラブリーのバカ! ってなって寝込んで僕は翌日会社を休みました。日本で5人くらいいたであろう「マヂロス」になった者です。

ということで愛ゆえにメンヘラの元カノみたいになった僕が今から「マヂカルラブリーのどこが面白いのかを丁寧に解説する」という、芸人に一番やっちゃいけないことをします。恨むなら恵美子を恨んでください。

1、つかみが面白い

マヂカルラブリーの魅力は一言でいえば「狂気」なのですが、最も端的に表しているのがつかみの挨拶です。
基本パターンは「村上でーす」に対して本来は「野田でーす」と言うべきボケが「その残像でーす」「でっかいエビでーす」「なにぃー!?」などと続き、村上の「マヂカルラブリーです」にもそれらの言葉をかぶせるというものです。村上があわせやすいようにゆっくり「マ、ヂ、カ、ル、ラ、ブ、リ、ー、です」と言ってるにも関わらずわざわざ同じリズムでゆっくり「エーービーーです」みたいに言うちぐはぐさが面白いところで、ファンは「今日の野田でーすは何かな?」などと楽しみにしています。面白いですねえ。

この「漫才の基本パターンを壊す」は多くのコンビがやってる手法で(「とろサーモンでーす」「僕もです」など)、マヂラブの狂気の中でもかなり王道の部類だから本番でもやってほしかったんですが、準決勝くらいから置きに行って「野ーー田ーーです」に戻してしまいました。あと村上の「マヂカルラブリーです」も緊張なのかあえてなのかわかりませんがテンポが速くていろいろもったいなかった気がしました。

2、フリが面白い

漫才の入り方は野田くんが「〇〇がしたいよー」などと急に叫ぶというものです。それに対して村上が「なんだって野田くん、そしたら今日は僕が〇〇をやるから~」などとフリを始めるのですが、それを無視して野田くんが「俺に、話しかけるな」とか好き勝手な言葉をかぶせていき、フリを喋り終えたところで野田くんが「セイッ」とネタに入るというのが定型です。面白いですねえ。



あとはフリにあわせて野田くんがその特質系なボケを披露してはツッコまれるのですが、ツッコミの最中もふざけていたりネタに戻る際も「太ってるねー」などと関係ないことを言ってたりと一切まともに絡まないというのがよかったです。最近フリで普通にちょっと会話しちゃったりするのですごい違和感があります。でもそうやってスタイルを微修正したおかげで決勝に出れたというのもあるんだろうなあとは思います。

3、実はツッコミも狂ってる

野田光だから芸名が「野田クリスタル」というのはわかりやすい狂気なのですが、実はツッコミは本名が鈴木崇裕で芸名が「村上」です(下の名前とかない)。タカトシのタカの本名と被ってるから芸名は変えた、ということらしいんですがこの芸名ひとつを見てもわかるようにツッコミもまともそうに見えて実は全然おかしいです。

昔のM-1敗者復活戦でやってた「いじめっ子になりたいよー」のネタとかもそうなんですが、村上の「じゃあ野田くんは僕をいじめちゃって!」というフリとか「言えよー、悪口!」っていうツッコミとかいろいろ根本的におかしい言い回しがマヂラブの世界観におかしみを生んでいます。普通なら野田くんの強烈な狂気を制御する役回りなんだけど、村上もある程度受け入れちゃってて一部ツッコミ不在になってる。相方が明らかにイカれてるのに「ダメだよー」みたいになぜかわりと優しい。ということはツッコミも結構狂ってるわけです。

笑い飯の「ダブルボケ」ならぬ「ダブル狂気」こそマヂラブの魅力で、この妙なズレに快感を覚えるとマヂラブのことが好きになります。今回の決勝でも「野田ミュージカルが行われるんだけど……見てく?」「……見てく」みたいなやりとりとかはその片鱗があってよかったです。

4、大体のネタは尻すぼみになる

渡辺リーダーとかもネタの展開の幅を指摘してましたが、今回みたいにずっと「客じゃねーか」のボケ1本で押すようなネタがマヂラブは非常に多いです。



昔話にスサノオノミコトが出てくるネタとかめっちゃ好きなんですけど、最初のボケの「うさぎとかめとスサノオノミコト」がすごい面白いだけに2個目の「スサノオノミコトと3匹のこぶた」が同じパターンでちょっと弱い。野田くんのインパクトが強いだけに見てるほうはやっぱりより強い裏切りを期待しちゃうとこがあると思います。

それでも「野田ミュージカル」という野田ありきなネタで勝負に行ったところは、「俺達にはこれしかない」というマヂラブの勇気であり今回の決勝に賭ける思いだったんじゃないかと思います。「同じボケを何度も繰り返す」というのもある種の狂気であり変に伏線を回収したりするネタを始めたらせっかくの狂気がかすむ気もする。「繰り返しの狂気」はハマればものすごい爆発をするし(某にゃんこなど)、マヂラブの戦い方としては正しい路線だったのかと思います。失敗はしましたが。


などなど、上空4000m目線で好き勝手言いましたがただのお笑い好きとして僕が一番悔しかったのはやっぱり「マヂラブが置きに行ってM-1に出たこと」でありそれを見て「つまんね」って言われたことに他なりません。ロン毛でタンクトップ着て「ジーパン破れすぎ君です」と言ってた野田くんのギラつきに惚れた者としては、スーツと筋肉をまとって「野田です」と言ってるネタだけを見て恵美子に公開処刑されるのは我慢ならんのじゃとなるわけです。

「あれはむしろおいしかった」という意見はよくわかるし、マヂラブの2人も早速ネタにして上手く立ち回っててよかったなと思います。でもやっぱあの瞬間の2人の落ち込みは相当なものがあったと思うし、僕も「決勝に出るためにいろいろ捨ててきた結果が『なんで決勝上がれたかわかんない』ってなんだよ! 泣くぞ!」ってなんか勝手に共鳴してしまって気絶したわけです。アイドルのコンサート会場とかで異様に感情移入してるヤバイ人とかいるでしょう。あれが僕です。

僕はディープに劇場とかに足を運ぶお笑いファンでもなんでもないし、たまたま「僕は好きだけど賞レースとかで決勝に来ることなさそうだな」と思ってたコンビが初めて大舞台に立って興奮して見てて無事爆死しただけなのですが、それによってマヂカルラブリー絶対許さない君に悪魔進化してしまいました。今後もマヂラブを見るたびに「あ、爪あとを残してくれるのを期待してたら傷あとをつけられた人だ」と思うでしょう。僕をこんな体にしたマヂカルラブリーを、売れるまで絶対に許しません。

アダルトVRとかいう脅威の映像革命のおちんちんシンギュラリティについて

最近「シンギュラリティ」という言葉が世間ではめっちゃキテるワードになっています。日本語では「技術的特異点」のことで、要するに人工知能が近い将来人間よりすげーことになって世界がやべーことになるという話。SFって今さ、みたいなことです。

今んとこITの意識高い人が「これはすごいでござるよ……」「ござるな……」ってメガネズリ上げで盛り上がってる程度の話で、ITの末端でぼけっと生きている僕には「ふーん。メガネっすね」ってピンと来ない話だったんですが、最近PS VRを買ったんです。「Rez」っていうVR界隈では有名な超面白いゲームがやりたくて買ったんですが(超面白いのでおすすめ)、「VRのエロ動画はやべーぞ」という話も聞いてたので試しにDMMでVRエロ動画を見てみたわけです。そこで唐突に到来しましたね。僕のおちんちんシンギュラリティが。一気に「ピン」と来ました(激ウマダブルミーニング)。

今から僕は「お夜食カンパニー」というメーカーの「王様ゲーム」というシリーズについて熱く語りますが、変にリンクとかするとBANが怖いので詳しくはググってください。未成年のよい子は「YouTube ヒカキン」とかでググってこの場を去るように。



「ヒカキン」でググって最初に出た動画(結構面白かった)

さて、本題ですがVRエロ動画の何がすごいかというと、実は「エロ」的にはまだ発展途上なところが多いです。確かにすごいとこはすごい。一番すごみがあるのはエロ動画に「距離感」の概念を導入できたところで、DMMのおしまいおじさん達のレビューを見ればわかるようにエロ動画なのに「キスシーン」に対する言及がやたら多いところです。

例えばお乳が近づいてきたり離れていったりといった立体感、臨場感は最初はかなりのチンギュラリティを感じます。これはマジですごいのですが、現状はまだ固定カメラで撮影してるという物質的制約があり、画質も限度があったりするため意外とそこはすぐ慣れちゃうのです。よってVR的に一番リアリティが出るのは女性の顔がめっちゃ近づいてくるキスシーンだという事情がある(バイノーラル録音だと確かに臨場感は一番すごい)。真のチンギュラリティにはまだ数年から数十年の時間を要するだろうというのは、メガネ的シンギュラリティとそう変わりません。

しかし、新技術の普及は常にエロから起こる、とこち亀も言っていました。その意味で現時点最大の革命を起こしているのがこの「王様ゲーム」シリーズなのです。数千円のVRゴーグルとかもあるらしいのでぜひ一度試してみてほしい。

この動画の設定は「イケメンの友人が女の子をナンパしてうちに連れてくる」というものです。そして全てのエロ動画に言えることですが、その世界観にいかに没頭できるかが「ピン」と来るかに多大な影響を及ぼします。これは「盗撮もの」「素人もの」が生む「リアリティ」に強い思い入れのある筆者の主観ですので、ピンと来なかった方は紗倉まなVRとかを見ていただいてもらってこの記事はもう読まなくて結構です。

VRエロ動画の中でも異様に評価の高い「王様ゲーム」の特徴はその「リアリティ」にあります。

例えばその1つは異様な長尺です。イケメン友人が女の子を連れてきても「まず飲もっか~」とだらだら飲み会が始まり、「好きなタイプは~?」などのくだらねえ雑談が何十分も続きます(目線的には女子のパンチーが見えるなどのサービスはある)。そしてこの友人は最初に「こいつ俺の親友なんだけど超無口なんだよ~」とその場に座ってるだけのVR主観者に対するフォローを入れて世界観を補強します。この友人がパリピトーク力を滅茶苦茶に発揮して場を回してくれるため、主観者たる僕はVRゴーグルをつけたまま完全にそのよくわからない飲み会の世界に没頭できるのです。

ここが一番伝えたい部分なのですが、「王様ゲームVR」で僕は初めてエロ動画の前振り部分だけ全部見て絡み部分をスキップするという経験をしました。

話の流れとしてはだんだん酒が進んできて「王様ゲームやろう」となって、ポッキーゲームをやったり徐々に服を脱いだりと過激になっていくテンプレなんですが、そのへんの塩梅が絶妙なのです。おそらくある程度ガチでくじを引いてる部分があって、「王様が女子のお乳をつつつく」みたいなちょっとエッチな流れになったあとに僕(主観者)と男の友人がキスをする、みたいなエロ的には無駄なシーンが入ったりします。当然VRなので兄ちゃんの顔がめっちゃ近づいてきて僕(主観者)が「マジで気持ち悪い!」ってなったりする流れがあって、女の子たちが「今のよかったね~w」みたいに盛り上がるテンションとかがマジでキモい流れを経てる分すごいリアリティあって「マジで王様ゲームしてる感」がすごくて楽しいのです(BL好きの女子とかにはおすすめです)。ディフェンス的に言っておくと僕は王様ゲームをしたことはないです。これだけは真実を伝えたかった。

最終的には「王様の王様を1番が舐める!w」とか「な、なんか私たちもドキドキしてきたね……(ジュン)」みたいなご都合展開に入って、僕(主観者)は「急にどうしたんだよ……」みたいになったりするんですけど、過程的にはかなりよくできています。一般向けに「合コンVR」みたいなのが出ても僕は買うと思う。臨場感を持って飲み会に参加してる感の楽しさはかなり普遍的なものがあるので、やがては「孤独のグルメVR」みたいなのが出てくると思います。

VRって来る来ると言われて意外とまだ浸透してない文化だと思うんですが、これはマジで体験しないとなんにも分からないやつなので別にエロじゃなくても一度やってみるといいと思います。そしてそのへんの進歩はやっぱりエロ業界が結構先を行ってるところもあるのかなと。絡みのシーンで「あの棚に飾ってあるトロフィー、なんだろう」みたいなの観察するの、すげえバーチャルリアリティ感あってだいぶ楽しいです。