たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

すくすくと老害に育った私がサウナにハマったという話(ねとらぼ同人誌寄稿コラム)

こんにちは、泥酔クソおじさんです。

生活におけるえげつないストレスですっかり酒を飲み散らかしている昨今ですが、そんな僕が社畜をやらせてもらっているスーパーインターネットメディア「ねとらぼ」さんが初の同人誌『ねとらぼん』を作りました。1月19日の「第4回ウェブメディアびっくりセール」で売り倒すそうです。詳しくはこちらをどうぞ。



本のテーマは「ネットと銭湯サウナ」ということで、最近サウナにいる時しか生きている実感を得られないファックな体になってしまった僕も短いコラムを書かせてもらいました。ヨッピーさんをはじめ著名な寄稿者の皆さんの玉稿はねとらぼ上でも随時公開されているのですが、「君は自分のブロマガにでも載せたら?」と言われたので載せます。ねとらぼ大好き!

僕のは酔っ払いの愚痴そのものみたいなしょうもない駄文ですが、ねとらぼんでは他にも編集部の黒木くんが失恋した勢いでサウナに行って水風呂で号泣したというエッセイや、その黒木くんらに連日「お前も銭湯にハマれ」という風呂ハラを受けている編集部のイッコウさんがとうとうブチ切れて書いた告発文など、血で書かれた文章が盛りだくさんの素敵な仕上がりになっています。みんな最高の仲間たちです。ねとらぼ大好き!

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「冷凍都市の俺、熱室で自問自答」

 サウナは祈りだ。僕は祈る。

 というのは舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。』の名書き出し「愛は祈りだ」の純然たるパクリなのだけど、果たして僕にとってサウナというのは祈りだ。
 そもそもサウナというのはものすごく特殊な空間である。全裸の人間が密室にぎゅうぎゅうになって「あー」「うぃー」などの唸り声を発しながら汗をビチャビチャにかきあっている。
 なんかネットだと「サウナはいいぞ」みたいな言説が最近やたら幅を利かせてるので言っておくと、サウナ好きになった僕から見てもやっぱ気持ち悪いおっさんみたいなのは圧倒的にいて、汗も流さずに水風呂に頭からダイブするおっさんとかすげえいる。サウナ室のテレビに向かって1人で永久に話しかけているおっさんもいる。ああいう人がYahoo!ニュースのコメント欄で誰に向けているのかもわからんクソみたいな罵倒をしてるんだろうなと思う。そのへん、結局社会と同じだ。

 それでもなぜサウナに行くのか。そこには僕の中でひとつ明確な答えがあって、つまり「サウナにはインターネットがない」のである。

 僕はインターネットが好きだ。15歳で高校に進学せずテキストサイトを立ち上げたくらいインターネットが好きだ。大学を留年してニコニコ動画にゲーム実況動画を投稿し始めたくらいインターネットが好きだ。就職をせずライターになって最終的に「ねとらぼ」とかいうインターネットど真ん中のメディアで記事を書いているくらいインターネットが好きだ。
 そのせいかもしれないのだけど、最近インターネットがあんまり好きじゃない。
 こんなことを言うと老害だと思われるので普段はあまり言わないのだけど、僕の実態というのは純然たるインターネット老害で、心のヤフコメではクソデカフォントで「昔のインターネットはよかったなー!」と絶叫している。なんなんすかね、最近のネット。わけわからんリア充とか意識高い層がネットでゴリゴリに自己主張を始めたり、重箱の隅をつつくようなくだらない炎上ネタが多発したり、しょうもないこすり倒されたテンプレネタが何度もバズったり。別に僕も仕事だしそれでみんなが喜んでくれるならと思って一生懸命やっているが、それでメディア関係者とかライターがPVだのバズったのでぴいぴい言ってると「なんだかなあ」って冷めちゃうのだ。10度以下の水風呂くらい冷める。

 僕にとってインターネットというのは現実からはみ出してしまったひねくれ者の「居場所」だった。それが色んな時代の変化によってただの「現実」であり「仕事場」になってしまったのが切ない。
 もちろんそうではないひねくれたインターネットもまだまだあちこちにあるのだけど、そういうのは仕事にならんので結果として自分の接するインターネットの温度が下がっていくわけです。100度のドライサウナで熱くなってたのが今じゃ60度のミストサウナになったみたいな。いや、低温のミストサウナはすごい好きなんだけど。

 そんな頃、ネットが遮断されたサウナに出会って僕は「祈り」に到達した。
 例えばテレビ付きのサウナ。僕はあそこでひとつも興味のないバラエティとかクイズ番組を観てボーッとするのが好きなのだけど、特に好きなのが野球とか相撲の中継だ。あの打者は打つのか、どっちのデブが勝つのか。どっちのこともよく知らんけど。そういうどうでもいい対決を見守って結果が出たとき、なぜかサウナ室の中でちょっと「おっ」みたいな声があがる。あれって讃美歌だと思うのだ。
 「この決着が着いたら出よう」っていう砂時計代わりの無責任な一体感。それはじりじりした熱さと結びついて、刹那的な熱狂につながっている。何かに夢中になる感覚を疑似体験できる。
 もっと好きなのはテレビの無い静かなサウナだ。それぞれ自分の爪の先とか壁の一点とかを見つめながらただジーッとしている。ボーッとしている。そこで思うのは今日の仕事の失敗とか行きたくない飲み会の予定とか昔好きだったけどうまくいかなかったあの娘のことだったりとかするのだ。それをサウナストーブのシューッという音を聞きながら汗と一緒に流してしまう。アロマのちょっといい香りでもしていれば最高だ。

 サウナは僕にとって現実との、ネットとの接続を断ち切れる唯一の時間だ。そこでしか気付けない、思い出せないことがいくつもある。その時間はきっと祈りだと思うのだ。
 日々の生活は楽じゃない。労働者に考える時間を与えないように課題を与え続けるのがいい経営者だったりする。あるいは考えさせないようにしてくれるほうが楽だっていうのもきっと普通の感覚だろう。
 それでも時々は考えたいと思う人間もいる。だけど考えることは基本的に苦痛だ。そんなとき、人は祈る。ただ救われたい、と祈りたいときがある。その祈りに没頭できるのがフルチンで灼熱の密室空間に閉じ込められているときだけ、という僕のような人間もいるのだ。

 サウナは祈りだ。僕は祈る。まだまだインターネットを、現実を愛していたいから。
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