たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

せめてアリくらいは一撃で倒す文章の書き方

以前、というかまさかの2年以上も前になるのだけれど、「象を一撃で倒す文章の書き方(http://ch.nicovideo.jp/tarochin/blomaga/ar202788)」という小林大吾先生の曲名を全面的にパクったかっこいいタイトルのブロマガを書いたことがあります。今回はその続き。

「ぼくは小説家になるからもう無駄なお勉強やめる!」とよだれを垂らしながら言って義務教育を半放棄した中2がもう16年くらい前。その後ションベンみたいなテキストサイトをやったり、酒を飲んでションベンを漏らしたりしているうちに、気付けば小説家にはならなかったけど会社の組織の一員としてえらそうにションベンみたいな文章を書いてカネをもらうようになり、人の文章にえらそうに少々のケチをつける「編集」という仕事もしたりするようになりました。

そんな僕も30を目前にして作文でおマネーをもらうことのなんたるかを少々考えるようになったので、えらそうにもここにメモとして残します。30歳以上の人には「クソガキがえらそうにうぜえ」と見えるので以下、読まないように。30歳以下の人には「クソ老害がえらそうでうぜえ」と見えるので以下、読まないように。

・書く媒体の過去の文章を真似る

これができるだけで90%ライターでお金がもらえます。その理由は2つ。「文章には正解がない」ことと、「その媒体の編集者が暫定的な正解を決めている」からです。

僕がライターとしてピヨピヨとかけ出したころ、お世話になった豊崎由美さんの書評講座で「必ず掲載される媒体を想定して書評を書く」というルールがありました(http://webmagazine.gentosha.co.jp/B-TEAM/vol215_special.html)。僕は当時その意味を理解しておらず、「よくわかんないけど面白い作文をすればええんやろ。ワイはこの世でただ一人の素敵なワイなんやし。その素敵さを世にアッピールしたいし」などと思っていた。だが、そんなのは大間違いであることが上記2つの理由を参照すればわかるでしょう。日々せっせとおマネー用の文章を掲載している現場の編集者が思うのは「まあ、君の気持ち? パッション? それはわかるけど、そういうのはブログでやってよ」ということです。

つまり、簡単に言うと媒体の編集者が暫定的な文章の正解を決めているのは「ウチの読者はそういうの好きだから」ということです。少年ジャンプでとりあえずバトルしてるのも北斗の拳とかドラゴンボールがアホほど売れたからです(別名・初期キン肉マンとはなんだったのか問題)。媒体にはそれぞれ歴史があり、読者にも歴史があります。ドラゴンボール的な歴史を作れるのはごく一部の天才(と大多数に認められた人)のみであり、編集者は当然天才ではないので天才の前例に従うことになります。だからもしあなたが「俺は天才だぁ~!」と信じるアミバであれば、自分を天才だと認めてくれる媒体を探しましょう。ごくまれに、その媒体には合わなかったけど世間が求めていた作品として世に出た「進撃の巨人」のようにトキになれるケースもあります。

でも大体はアミバです。普通にお金もらえればいい場合は編集者のオッケーもらうことを目指したほうが生活は楽です。そして進撃の巨人が「ぼくのかんがえた最強に面白いまんが」なのか「皆に面白いと思ってもらえるように練り上げたエンタメ」なのかはまた別の話です。

・署名を入れる≠自分の作品

なぜかゴスゴスにまんがの話で例えてしまいましたが、ライターの話でした。ライターと漫画家が違うのは「署名」「無署名」があるということです。普通に日々呼吸をしているとあんま意識しないかもしれませんが、新聞でも雑誌でもネット記事でも書いた人の名前が書いてあるときとないときがあります。

たとえば「今日2丁目で肉屋さんが火事になりました。すぐに消防士さんががんばって消したけど出火原因がわからないので現在、警察ががんばって原因を調べています」というニュース記事があります。この記事を誰が書いたかを明記することはどっちでもいいのですが(どっちでもいいとは言ってない)、事実のみを端的に伝えているからとにかくニュース記事としての役割は果たしています。

一方、「友だちのおうちの近くで火事がおきたって友だちがツイッターで言ってました。こわいです。僕のおうちも昔火事になったけど、火事は近くのおうちにも迷惑がかかるのでよくないです。僕はマジよくないと思う。火の用心!(byたろちん)」という記事があるとします。これは筆者の体験や感情がこもった迫真の記事ですが、これが新聞に載ってたらあなたはビビると思う。私もビビる。

これはブログの記事だったら100点です。仮に芸能人がブログでこういう記事を書くと「マジ火事ヤバイ、私も気をつけます(泣)」などのさまざまな感情に溢れたコメントがつき、大きな注意喚起の効果もあって社会的なメリットもあります。ですが、あなたは署名を入れているとはいえ社会的には無名のライターです。さっきの例で言うと鳥山明孫悟空の絵を描いて「ぜってぇ火の用心してくれよな」と言えば意義があるのですが、年に同人誌が50冊しか売れないあなたがオリジナルのキャラに「火の用心ニャン」と言わせるイラストを描いたので新聞広告で載せたいと言われても現場は「お、おう」となるわけです。

今タバコに火をつけようとしたらフィルターに火をつけてしまうくらい酩酊しているので、底抜けにアホウな例示になってしまいましたが、自分の名前で記事を書いているからといって自分の言いたいことを真っ直ぐに書こうとしても空回ることが多いよということが言いたかったのです。前項と重複しますが、読者がまず読みたいのは「どこでどういう理由でどういう被害の火事があったか」ということです。ライターとして、この世にただ一人の私として、記事を書こうとするとつい意気込んで「自分らしい表現」をしようとしてしまいますが、まず「何を書かなければいけないか」を考えるようにするとよいのではないかと愚考します。僕は。

ちな、この例は想定媒体「ニュース」なので、逆に「自分らしい表現」が一番書かなければいけないことである場合もあります。でも、その場合も媒体によって評価される「自分らしさ」っていうのは違うのです。ここでアミバトキ問題に戻る。


そういう諸々を考えながら、途中でめんどうくさくなってお酒をかっくらって忘れ去ることでまあまあ元気に暮らしています。おかげさまで今度一人暮らしを8億年ぶりくらいに再開するので、せめて自宅に出現するゴキブリくらいは一撃で倒せる文章が書けるようになったらいいなと決意を新たにした次第です。今後ともよろしくどうぞ。