たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

ビッグバンドジャズという音楽をやっていたことがある

最近、夜中にビッグバンドジャズを聴きながら酒を飲むのが趣味になりつつあるので、だいぶ自分も老いてきたなと思っている。というのはジャズと酒などという趣味の安易なおっさんくささについて言及しているのではなく、私がより若き大学のころにやっていたのが他でもないビッグバンドジャズという音楽だからである。

そもそも大学生などというのは、親のすねを膝だか尻だか分からなくなるまでかじり尽くし、あらゆる授業を「代返」「テスト前のノートコピー」「土下座」などのチート技で乗り切り、平素は同学のうら若きメスの尻を追いかけ倒しながら「ブイブイ」と喋る生き物である。高校に行かず青春をスティックに振っていた私も完全にブイブイ言う覚悟を決めて大学生になった。そこまではよかったが、なぜかブイブイ問題で最も重要なサークル選びで私はビッグバンドジャズなる陰気なものを選んでしまった。サッカーをやろうと思ったら他のメンバーがアンプのつまみを全部右一杯に回し切る典型的ロックセッティングでブイブイ言っていたので「うるさいな」と思ったからである。

ブイブイ半分で参加した私にとってジャズの練習は厳しかった。ふわふわタイムでオッケー的な大多数のふわふわ軽音楽と違って、ズージャの世界では厳密な基礎技術に基づいた正確な演奏が求められる。特に私が「なんかー、できたらかっこよさそうだし」という理由で選択したドラムという楽器は、自分のテンポが狂うと17名ほどのバンドメンバー全員に弾圧される厳しいプレッシャーにさらされるポジションだった。奇跡的によき友人に恵まれた私はなんとしてもそこでブイブイをやろうと誓い、必死に怒られない程度の演奏訓練に取り組んだ。結果として練習が終わったあとは絶対にジャズなどという仕事の音楽を聴かない人間になった。まあ最初からジャズとかよくわかってないんだからそんなもんだろうとは思う。

一方、私がその人間性を愛するバンドメンバーたちには日々真面目気味にジャズに取り組んでおり「そんなんじゃ甘いよ、全国大会に出れないよ」などと周囲の意識低きジャズメンたちに意識高き指摘をする者もあった。ちな、酒飲んで遊んでるだけの僕みたいなゴミカスも何名かいた。僕はその頃から、無理して一生懸命仕事をすると心の余裕がなくなって人間的な素敵さは軽減する、という持論を展開しており、「ジャズなんか上手くなっても別に将来役に立たないよ、酒が美味ければいいじゃん」ということを怒られない程度の言い方で表明していた。なぜか部長になってからはよりアグレッシブにそういうことを言っていた。今思うとひどいけど、もう一度その状況になっても同じことをすると思う。

「ジャズいいな」と思って始めたはずの自分がそうなるというのは要するに天の邪鬼な人間なだけなのだけど、それも当時から自覚はあったはずだし、だからなるべく引退したからたちまち「ジャズいいよね」などと言う人にはならないようにしよう、という意識もあった。だけど最近それがグイグイきてるというのは、やっぱり無理して一生懸命仕事をしている自分が心の余裕がなくなってきているということではないんかいと思うし、僕の持論正しかったなと思う部分でもある。日常に追われなければ心が穏やかなのは当たり前なんだけどさー、皆そうしてるほうが正しいって言うしそれやってると褒めてくれるし、そうなるとそれやってないやつに文句言いたくなるしー、みたいな。その矛盾を現状の僕の言葉で片付けると、資本主義はクソ、6億円持ってれば最高、ってことになる。ブイブイがなぜか天の邪鬼のジャズになったのと一緒で結局本質は変わってない。

ジャズのスタンダードナンバーで「Things Ain't What They Used To Be」っていう曲がある。邦題は「昔はよかったね」。たまにブロマガ書いても結局そういう回顧的なことを繰り返し書いてばっかいるわけだけど、好きな曲っていうのは何度聴いても好きなわけで、結局はライフゴーズオン。自分の感性の更新頻度がゆるやかになって、10年後も同じこと言ってるんだろうなと思いながら10年前と同じことを言っています。酩酊して書き始めたのにジャズ聴いて飲んでたらもうすっかり泥酔しました。でもそれで心が穏やかになんならいいじゃん。などと供述しており。