たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

クソ日記シリーズを始めようと思ったら「クソ」と言われたのでもう許さない

怒ったので今日だけ日記を書きます。経緯はツイッター上でタイトルの事案が発生したため。

と言っても実は私には10代の貴重な時期をインターネット上に日記を書くことだけに全ての情熱を捧げてきたという実績がある。今でこそ大人に依頼されて文章を書くことでおちんぎんをもらって下卑た笑みを浮かべる歯車へと成り下がったが、昔は文章を書くことそのものが楽しかった。それはこのようになんも考えずアドリブでキーボードを叩いて一文の社会的価値も伴わない文章を羅列してブヒブヒやっていたからである。社会的であるということはつまるところ制約を受け入れるということだ。なお、この話はこれまで4億回以上繰り返してきた。

昔は友人の実名などを丸出しにして赤裸々に僕の生活を綴っていたが、既に資本主義の豚と化した私にとってそれはもうできない。理由は二つ。私に恥の感情がいい加減芽生えたことと、ネット文化の浸透により変なことを言うと光速で子供や大人や関係者に怒られるからである。ちなみにそういうことを現在進行形でやっているから最近また永井先生の配信をよく観てる。こうやって少しずつ老害になっていくんだろうけど、やっぱ好きなんよ。

今日は朝電車に乗りながら、人間が見栄を張ったり誰かを叩いたりするということは、エゴというよりもコンプレックスなのではないかということを思った。永井先生にも分かる言い方をすると、人間は自分のわがままで怒るのではなく、恥ずかしいからわがままになって怒るのではないかということだ。自分のことが恥ずかしくない人はわがままではあっても過剰に怒ったりしない。なお、根拠は特にないのでこの説に対して過剰に怒ることはやめてください。

10年ちょっと前の僕が日記を書いたり「うんち」的なギャグを言ったりすることによって発散していたコンプレックスを、ここ何年かの僕は酒を飲むことによって発散していたのだけど、最近は酒飲んでもあんま発散できてないなと思ったので日記を書こうかなという発想に至ったのだなと思う。酒飲んで日記を書かないといけないほどおしまいになってきたということでもある。なお、この話はこれまで4億回以上繰り返してきた。あと4億回くらい続くのが人生なんだろうなと思ったので日記を書くことにしました。別に意味なんか無いとしても。