たろちんの感情の奴隷ブログ

やむを得ず社畜と化したたろちんが、お金にならない文章を思いついたときにだけ更新されるプレミアブログです。

最近のインターネットがつれぇので自分の黒歴史日記を読んでみた男

僕(32)です。最近やべーなと思ってることがあるんですけど、インターネットを17年くらいやってきてそれは個人的におもしれーと思ってたからやってたんすけど、最近インターネットそんなおもしろくねーなと思ってまして。急にマイナス方向のこと言ってすみません。全体的には面白い!(ここでバランスを取る)

いや、実際面白いことはいっぱいあります。ただ近年はなんかあるとすぐ炎上だー、とかポリコレだー、とか言って人と人がケンカするのが目につくようになってそういうのがやっぱつれぇわってなってます。別に昔からずっとあるんですけどね。テキストサイト好きだったときもネットバトルとか言って炎上商法やってる人いっぱいいたし。なんも変わらんですよ人間の性質とか。縄文時代から現代まで変わらねえってエレカシも言ってました。

最近Netflixで「DEVILMAN crybaby」っていうデビルマンのリメイクアニメを見たんですけど、人間のつれぇところを目いっぱい描いててすげえって感動しました。ネット配信すげえなって。やっぱおもしれえんじゃんインターネット。はい、面白いです。でも70年代にこんだけ衝撃的な表現があって「心を動かされた!」みたいな名作として語り継がれてて、なのに今なお我々は矮小な小競り合いを続けてるってなんか悲しいなあと。人間は忘れられる生き物であるが故に同じ過ちの歴史を繰り返すのかなあと。主語がでかいなあと。そこまで思ってないけどなんかそういうニュアンスのミッドナイトブルーを感じたりしました。本題がズレたけどその一つが最近のインターネットということです。

「最近のインターネット」とかいう最悪級の老害ワードを僕だって使いたくはないんです。じゃあ使うなよ。すいません。でも僕はつれぇのでここでひっそりとちょっとだけ言う。別にちょっとくらい過激なこと言ってもユーモアがあれば「あいつ攻めすぎだろw」くらいで済ませる寛容さがほしい。同じ表現なのに誰かをとても喜ばせることと誰かをとても傷つけてしまうことは実は結構この世の中に同時並行的に存在していて、取捨選択する権利があるのがインターネットの良さだ。というか人生の良さだ。まあ「嫌なら見るなと言われてるものをあえて見る」という権利があるのも人生の良さではあるので、ここまでの僕の主張に特に論理的な強固さはない。放談です。シンゴジラで「私は好きにした、君らも好きにしろ」って言葉があるけどあれとても好きなんですよね。

本当は昔インターネットで自分が書いてた日記を読み返すみたいなエントリを書きたかったんですけど、前置きが迷走しすぎた。まるで人生のように。以下は大学1年の冬、ジャズサークルやってた僕がセンター試験の時期に書いた日記です。読み飛ばしてください。
世はセンター試験という事でぴいぴい言ってますね。受験生の皆さんご苦労様です。僕は寒いから今日はウチでごろごろしてました。まあ受験なんてのは要するに何年間も興味の湧かない勉強をやり続ける忍耐、我慢、根気のある奴が勝つように出来てるので全国のぐうたら者の皆さんはそう気を落とさないで頂きたい。人にはそれぞれ向き不向きというのがあって、あなたは勉強とかそういうのが向いてないのです。だから仮にあなたが無理矢理レベルの高い大学に入学したとしてもそこは勉強に向いてるような人ばっかり集まる大学だから、あなたと気の合うような人はおらず、あなたは貴重な4年間の青春を無駄にするでしょう。それよりあなたの個性に、長所に目を向けましょう。さあ、教科書なんて投げ捨てて。鉛筆をドラムのスティックに持ち替えたらほら、アホ大学でへらへら笑ってサークルばっか行ってるたわけた大学生の出来上がり。なんて事を言ってるから最近のゆとり教育とかはダメなのであってもっと皆真面目にやる事はやっといたほうがいいよ。僕はやんないけど。断固。人間って環境に大変影響されやすい生き物で、受験の時とかって皆が大学大学言ってるから、じゃ、お、おれも、って感じで大学大学言っちゃうんですけど、冷静に考えてみれば大学なんてのは所詮人生の一部、一選択肢でしかない訳でそんなものに一生を左右される事なんて、これはもうはっきり言っちゃいますけど全然無いですよ。絶対無い。まあ、ありますけどね。どっちだよ! あれ、この前友達んちでコジコジ読んだらいい事言ってたんですけど、先生にお前将来なんになりたいとかねえのかよって聞かれたコジコジが、「コジコジは生まれた時からずーっと将来もコジコジだよ」って言ってまして、そういう事だなあと思いました。だから、大学生とかパイロットとかサラリーマンとか無職とかそういう事ではなく、コジコジコジコジとして、お前はお前として純粋にライフをゴーズオンしていけばいいんじゃねえの? とぼくは思う。幸せになるという事は即ち欲望の満たされた結果ですから、欲が満たされなかった場合は不幸になってしまう訳ですね。なんか周りに流されて大学行きてーとか思い出すと、それは欲望の発生ですからあとはもう頑張って大学行くしかないんですが、もう一つの解決法もあってそれはつまり、大学に行きたいと思わなければよいのです。そういう事で仏教の方ではやたら無欲無欲言う訳ですが、まあそれはちょっと飽食のトゥエンティーファーストセンチュリーに生きる我々デジタルボーイズアンドガールズには大分無理なので、必ずしも行きたい大学に行けなくてもそれは不幸ではないよという事だけ心の片隅にとめておいてほしいのです、先生は。大学に行くとか行かないにとらわれず、鳥の様に自由にすくすく生きていって欲しい。東大に行こうがものつくり大に行こうがお前はお前でしかないのだから、お前はお前をやり続ければそれが一番大事、とかいってもう何言ってるか完全に解んなくなったのでやめます。そして最後に言っておきたい事はここまでの文章は端から端まで全部が適当だという事で、なぜそんな事をしたかと言うとセンターのせいで大学が閉鎖されてドラムの練習が出来なくてヒマだったからです。皆明日のセンター試験も頑張ってね。大学は楽しいよ。

なげえよ。改行もないし。当時は改行しないのがかっこいいと思ってました。初期町田康の影響です。あと実際そういう文脈も当時の一部テキストサイトにあった。むちゃくちゃミーハーです。

若造がウエメセで好き勝手言ってるだけなんすけど、僕は僕なので僕が言ってることもちょっとわかるので擁護すると、当時の僕は中卒で高校行かず大検取得から一転攻勢で大学入学していろいろ失われた青春を取り戻して結構人生刺激あんじゃん、楽しいじゃん、をしてた時期です。そこかしこに見えるイキリに10代感を感じる。半端な仏教トークとか特に(無意味に個性派気取りでインド哲学科だった)。

でも当時の僕はこんなことをせいぜい十数人しか見てないブログに嬉々として書いてて、その感情はわりとピュアだったと思う。中卒でネットに居場所を求めて、そこでもバズってるものはよくわかんなくてネットの端っこでうじうじしてた気持ちと、それなりに普通の大学生がやれて友達もできて過去の居場所を変な半笑いでチラチラ振り返ってる気持ちと両方まざってる。

僕は現実もインターネットも両方好きで両方に感謝している。逆に言うとどっちにもなれない中途半端であって、そんな人がフラフラできるグレーゾーンがこの世のどっかに残り続けてほしいなと思ってます。

それは人によっては大学のサークルだったり近所のバーだったり2(5)ちゃんねるだったりはてな匿名ダイアリーだったりTwitterの鍵垢だったりするのかもしれない。それこそ「チラシの裏に書いてろ」と言われる戯れ言かもしれない。でもそういう他意のない放談が意図しない誰かの心に刺さったりして、例えその語り口が決して正しくもないことだったとしても、こっそり誰かと分かり合えたりするインターネットが、僕はやっぱり好きなのです。